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宝塚歌劇団雪組 音月 桂 退団記者会見 2012年12月

(2012年12月24日記載)

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東京宝塚劇場雪組公演千秋楽
音月 桂 退団記者会見



※サヨナラパレードは、別ページに掲載予定

音月 桂 プロフィール(資料より)

埼玉県出身 市立鴻巣中学出身
1996年 4月 宝塚音楽学校入学
1998年 3月 宝塚音楽学校卒業
1998年 3月 宝塚歌劇団入団、『シトラスの風』で初舞台
1999年 1月 雪組に配属
2010年 10月 『はじめて愛した』(シアター・ドラマシティ)で雪組トップスターに就任

■主な舞台歴 ※劇場名のないものは全て宝塚大劇場公演
1998年 3月~5月 『シトラスの風』で初舞台
2000年 6月~7月 『宝塚 雪・月・花』『サンライズ・タカラヅカ』(ドイツ・ベルリン)
2001年 3月 『猛き黄金の国』 (新人公演)岩崎彌太郎 ※新人公演初主演
2002年 10月 『ホップ スコッチ』(バウホール) ピーター ※バウホール公演初主演
2003年 3月 『恋天狗』(バウホール) 弥太
2004年 9月 『花供養』(日生劇場) 近衛信尋
2005年 4月~5月 『さすらいの果てに』(バウホール) ジェフリー少尉
2006年 6月 『やらずの雨』(バウホール) 徳兵衛
2007年 2月~3月 『ノン ノン シュガー!!』(バウホール) ジョニー・キッドマン
2007年 5月~6月 『エリザベート』 ルイジ・ルキーニ
2008年 5月~6月 『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』(全国ツアー) オスカル
2009年 1月 『忘れ雪』(バウホール) 桜木一希
2010年 6月~7月 『ロジェ』 リオン
2010年 10月 『はじめて愛した』(シアター・ドラマシティ) ガイ・コンスタンティン(バード)
2011年 1月 『ロミオとジュリエット』 ロミオ ※トップスターとして初の大劇場公演
2011年 4月~5月 『黒い瞳』(全国ツアー) ニコライ
2011年 7月 『ハウ・トゥー・サクシード』(梅田芸術劇場メインホール) フィンチ
2011年 9月~10月 『仮面の男』 フィリップ/ルイ14世
2011年 12月~2012年1月 『Samourai』(シアター・ドラマシティ) 前田正名
2012年 3月~4月 『ドン・カルロス』 ドン・カルロス 
2012年 7月 『フットルース』(梅田芸術劇場)
2012年 10月~11月 『JIN-仁-』 南方 仁

サヨナラショー(大劇場公演より/写真提供:宝塚歌劇団)

 

 

退団会見が行われました(2012年12月24日/東京宝塚劇場にて)

雪組東京宝塚劇場公演『JIN-仁-』『GOLD SPARK!』千秋楽公演に続いて音月桂サヨナラショー、退団者挨拶が行われました。
舞台上でのセレモニー終了後、報道陣の前で音月桂さんが現在の心境を語りました。



皆様、本日はお忙しい中ありがとうございました。無事に宝塚歌劇団を卒業致しました。
本当に15年間たくさんの愛に包まれて、大好きな宝塚の舞台に立つことができて本当に幸せでした。今までありがとうございました。

――― 宝塚での全ての舞台を終えられて、今改めて音月さんにとって宝塚歌劇団はどういうところだったか教えて頂けますか?

本当に私が宝塚に入ることを決めた、きっかけでもありましたけれども、すごく愛と夢に溢れていて、とりわけ退団公演になりますと、様々な方の思いが本当に自分の胸の中に響いてきました。やっぱりここは愛のある素敵で華やかな世界だなというのを実感致しました。


――― 宝塚の卒業の時は黒燕尾で大階段を降りられましたが、今日は袴姿でした。その理由をお聞かせ下さい。

大劇場では男役ならではのシンプルな燕尾を着ましたけれども、やはり一番正装と言いますか、宝塚歌劇団の誇りを持って袴を着たいなと思いまして、宝塚最後の日には袴で階段を降りました。


――― 最後の瞬間まで男役「音月桂」を全うしたいとおっしゃっていましたが、本日朝目覚めた時、どんな事をお考えになったか、そして、最後の大階段を降りていらっしゃった時に、どのような事をお感じになりましたでしょうか。

実は、もっと緊張するのかな、と、例えば膝がガクガクするのかなとか考えていたのですけれども、今日は本当に気持ちよく目覚めることができました。晴れ男ということで(笑)、今日は暖かい朝を迎えることができたのでとても幸せでした。大階段を降りる時も緊張とか不安というよりも、皆さまが見ていてくださる温かさを今日は本当に感じて、心の底から幸せでした。


――― 音月さんというと笑顔の印象が強いですよね。つらい時や悲しい時もあったかと思うんですけど、どうしてそんなに笑顔をキープできたのか、何か秘訣があれば教えていただけますか?

ありがとうございます。やはり、役と向き合ってできなくて自分にくやしくて涙することも、もちろんありましたけれども、やはり笑顔は笑顔を呼ぶということを普段から私はモットーにしておりました。家で一人で泣いたり考えたりした時も、次の日に稽古場に来る時、みんなの顔を見る時、舞台でお客様の顔を見る時には笑顔でいたいなという気持ちからでしょうか。あとは、本当に周りの方々が笑顔で見ていてくださることが、逆に私を笑顔にしてくれていたのかな、というのもあります。




――― 宝塚はもう100周年が目の前、(音月さんにも)100周年に居て欲しかったなという風に個人的には思うのですが、音月さんご自身にはそういうこだわりが無かったのかということと、100周年を迎える後輩に向けて何か言葉を。

もちろんやはり宝塚歌劇団が100周年を迎えるまであと2年ございますけれども、現役生として迎えるのも、そして卒業して外から宝塚歌劇を応援できる立場で100周年を迎えるというのも、私は宝塚を愛する者として一緒だと思います。今、最後の緞帳が閉まった後で、みんなの顔を見た時にとっても生き生きとしていて、雪組の下級生、専科のお姉様方も本当に素敵な笑顔で迎えていてくださいました。あ、もう、今、この雪組は100周年を迎えるにあたってすごく充実しているなというのを実感致しましたし、それは、私が卒業を決める前からも本当に皆が舞台に対してすごく真摯に向き合っていて、一人一人が良い雪組にしよう、良い宝塚の舞台の舞台を作ろう、100周年を迎えるまでがんばろう、という気持ちがすごく見えたので、とても安心していました。私も卒業生として宝塚の100周年を迎えたいなと思います。




――― 最後のさよならショー後のご挨拶の時に、「FOREVER TAKARAZUKA」で終わるのが珍しいかなと思ったのですけれども、なにかこだわりがあったのでしょうか?

そうですね。「すみれの花咲くころ」で終わるパターンの方が、もしかしたら多いかもしれませんけれども、さきほど言っていただいたみたいに、本当に私は笑顔で元気に、そしてみなさまにも幸せな気持ちで帰って頂きたいなと思いましたので、少し明るい曲「FOREVER TAKARAZUKA」にしました。




――― 今のお気持ち、それから今後こういうことをやっていきたいなという長期的な目標は。

素直に、本当に、幸せな気持ちが今溢れています。言葉では表現しにくいのですけれども、宝塚を卒業するにあたり、沢山の方々が支えて下さいましたし、今日も多くのお客様が温かい拍手で見守って下ささいました。本当に幸せという言葉と感謝の気持ちでいっぱいです。
今後はですね、ひとまず少しはゆっくり(笑)したいなと思っています。なかなか実家に帰る機会もありませんでしたので、家族とゆっくり話をしたいなというのが今一番近い私の予定ですね。


――― 今後、舞台に立たれる予定は?

まだ未定でして、やはり宝塚の公演中は宝塚の舞台一筋にいきたいと思っていたので、もし、そういうお話がありましたら、その時には考えると思いますけれども今のところはまだ未定です。




最後に深々と報道陣に一礼し会場を後にしました。

 

 
 

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