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野村萬斎さん、白井 晃さん登壇「世田谷パブリックシアター芸術監督交代」会見が行われました。 2022年03月

(2022年03月25日記載)

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野村萬斎さん、白井 晃さん登壇「世田谷パブリックシアター芸術監督交代」会見が行われました。



(左から)世田谷パブリックシアター次期芸術監督 白井 晃さん
世田谷パブリックシアター芸術監督 野村萬斎さん

「世田谷パブリックシアター芸術監督交代」会見が行われました。(2021年3月14日)


1997年に開場した世田谷パブリックシアターで2002年より20年にわたり芸術監督を務めた野村萬斎氏が、
2022年3月31日をもって退任、4月1日より、白井晃氏が新芸術監督に就任します。
この度、同シアターの芸術監督交代会見が行われました。芸術監督のオファーから印象に残る取り組みまで、
野村芸術監督の在任期間を振り返った会見内容を一部抜粋してお届けいたします。


ーーー 世田谷パブリックシアターとの関わりから芸術監督オファーまで
◆野村萬斎
1994年~95年、27歳からの1年間、文化庁の新進芸術家在外研修でイギリスに滞在しました。
帰国した翌年の96年に劇場が建つ前に下見をしたのが、この劇場との関わり始めでした。
ご縁をいただきこの劇場のこけら落としで『三番叟』をさせていただきました。
以来、日本全国津々浦々の劇場のこけら落としで『三番叟』をさせていただいております。

2001年、シェイクスピアの『間違いの喜劇』(翻訳:高橋康也)を狂言で演じる『まちがいの狂言』という
作品を創らせていただいたのが、世田谷パブリックシアターでの演出家としてのデビューでした。
この翌年の2002年、芸術監督のお話をいただきました。
芸術監督という仕事が確立されているイギリスを見て、生活や社会に密着した演劇活動というものがあることを
目の当たりにしていましたので、芸術的影響力のある作品を創り、それを世界に輸出し、
社会に貢献、還元していくという芸術監督の姿に憧れを持っていました。
90年代と言えば、ピーター・ブルックが来日し、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが毎年のように来たり、
当劇場ではおなじみのサイモン・マクバーニ―など世界的演出家たちが、
日本の伝統芸能に影響を受けて、世界に作品を発信している姿を目の当たりにしていました。
日本人としてもっと伝統芸能を使って演劇発信をしなければいけないという大志を抱いているところに
芸術監督の依頼がきて、「待ってました」とばかりの思いでございました。
印象的だったのはこの年に「にほんごであそぼ」(Eテレ)もほぼ同時に依頼があり、道が大いに開けたという思いがございました。

ーーー芸術監督方針と芸術監督としての20年間
◆野村萬斎
芸術監督方針はあっという間に閃き、決定したのを昨日のことのように憶えております。
根幹になったのは狂言の第一声に使われる「このあたりのものでござる」という言葉の意味を捉えた
三原則「地域性、同時代性、普遍性」を同心円上に広げるということ。
そのためのアイデンティティとして古典芸術と現代芸術が融合したトータルシアターを目指すことで、
それが世界のレパートリーになるだろうという大志を抱きました。
世田谷区から発信してそれが世田谷区民のためだけではなく、東京都民、日本国民、アジアの人々へ
グローバルな無形文化財となることを目指していく。それは狂言・能という出自の中で、自分がこういう新たな場を得た時に、
ユネスコ世界無形文化遺産に対抗したアーティスト野村萬斎の野心だったと思います。
「このあたりのものでござる」という言葉の概念は人間の多様性を認めて包括するという精神、
これは現代のグローバリズムでもあるわけで、狂言はそれを650年前から先取りしていたものなのではないかと思います。
世田谷での20年間は学びが多く、濃密でラッキーな20年間でした。
就任当時はちょうどNHK朝ドラ「あぐり」の出演後で、前年には映画「陰陽師」がヒットし、
世田谷パブリックシアター友の会の会員数が増えたことを感謝していただいたことも新鮮でした。
そうした上昇気流に乗ってさまざまな経験をさせていただいたなという想いです。

ーーー20年間で手掛けた作品からの学びと財産
◆野村萬斎
演出だけではなく出演することでも多く学ばせていただきました。
ジョナサン・ケントというイギリスで活躍する演出家による『ハムレット~Hamlet』(2003年)に主演しロンドンにも行きました。
栗山民也さんの演出で井上ひさし作品にも出演できたというのも大きな事件でした。
世田谷以外でも蜷川幸雄さんとはたくさんの仕事をさせていただきましたし、
三谷幸喜さん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんの作品にも出演し、学ばせていただきました。
特に蜷川さんとは『オイディプス王』でアテネに行って野外劇場で上演したのも大きな財産です。
演劇的な活動以外でもさまざまなアーティストたちとコラボできたというのが私の財産になりました。
天井桟敷や万有引力など、寺山門下と言える方たちとの『マクベス』や、
大駱駝艦の方たちとの『神なき国の騎士―あるいは、何がドン・キホーテにそうさせたのか?』、多種多様な業種の方、
学者さんを呼んだ『MANSAI◉解体新書』、種々のアーティストに創作を依頼した『現代能楽集』など、
今までに観たことのないものという一つの舞台芸術の在り方を模索でき、日本の文化の根幹を学ぶことが出来たかな
という気がしております。

ーーーこの劇場で印象的だった演出作について
◆野村萬斎
自分の子どもたちに優劣はつけたくないのが正直なところですが、
シェイクスピア作品はいろいろな発見があって勉強させていただいたという気がしております。
一方で自分が得意なアドバンテージを感じる作品群というのもあり、『子午線の祀り』(2017年)、
『敦-山月記・名人伝-』(2005年ほか)などで評価をいただきました。
2021年の『子午線の祀り』再演の時には『敦-山月記・名人伝-』と同じセットを使って上演しました。
コロナ禍で予算もないし、大規模なセットをつくると人が増えるし、密になるしということで、中止しようという話もありましたが、
これをバネにすべきだという不屈の精神でシンプルな『敦-山月記・名人伝-』のセットを使って
『子午線の祀り』が出来たことは印象的でした。

実はこの劇場でやりたかったことはレパートリーシステムでした。
三軒茶屋に来るといろいろな芝居が観られる、マチネは主劇でソワレはトラム、またはマチソワでかかっているものが違うとか。
そういうことが実は一番憧れていたことでした。セットを共通してやれるということでこの先何かダブルビルみたいなことを
出来るといいですね。アジアの中の演劇的ハブとして三軒茶屋でそういう体験ができるようになれば素晴らしいなと思います。

ーーー芸術監督としての経験を経てからのこれから
◆野村萬斎
35歳から55歳というのは、狂言師としては「四十、五十は洟垂れ小僧」と呼ばれる年齢ですが、
世田谷パブリックシアターの芸術監督になったことで、私自身が演出家になったなぁという思いもありますし、
「文化人になりましたね」とも言われました。そう仕立ててくれたのは世田谷パブリックシアターの優秀なスタッフたちと、
友の会をはじめとする観客の皆さまに育てていただいたと思っております。
感謝の念は私のこれからの生き方や作品でお返しするしかないと、
これからも狂言に限らず日本の文化のアイデンティティを背負った活動をしたいと思っております。
時間ができる分、新たに違うジャンルに挑戦したいなとも思っています。

ーーー新芸術監督を引き受けた経緯について
◆白井晃
野村萬斎監督の後を引き継ぐのは重責だと実感しております。
昨年秋に時期芸樹監督のお話をいただきまして、正直驚きもしましたし、逡巡もいたしました。
というのも21年の3月まで、KAAT神奈川芸術劇場での芸術監督職に就いており、退任したばかりでしたし、
若い世代に芸術監督を担っていっていただきたいということで、長塚圭史さんに芸術監督をバトンタッチしたばかりでございました。
にも拘わらず、萬斎さんより歳が上の私が引き受けていいものだろうかと悩みましたが、KAAT神奈川芸術劇場での芸術監督経験と
この劇場が開館してから25年、たくさんの創作をさせていただいてきたという経験もいかして活動して欲しいと
熱心にお誘いいただきまして、私に出来ることがあるならば精一杯やらせていただくべきではないかと決心しました。

ーーー新芸術監督としてめざすこと
◆白井晃
私の役目は若い、未来の世代に向けての橋渡しだなと思っております。
五年後、十年後の世田谷パブリックシアターが、どのようになっていくのか、
その姿を思い浮かべながら考えていきたいと思いますし、劇場のスタッフ、アーティストの皆さん、
関係者の皆さんとお話をしながらこれからの世田谷パブリックシアターを考えていきたいと思っています。
この劇場の開館時の理念の一つに「劇場は広場である」という言葉がございます。
改めてこのコロナ禍を通じて、広場という言葉の意味あいを考えていまして、人が集まって、人が語って、ものを作って、
それを鑑賞する場、それを再認識しながら活動していきたいと思いますし、この広場を萬斎さんの言われていたように
同心円のように世田谷区、日本、もっと大きく広げていくようなことを考えていきたいと思っております。
野村監督の元で監修された22年、23年度のプログラムに関しては、それを受け継がせていただき、
出来るだけプログラムのバックアップできるように尽力していきたいと思います。
演劇でお世話になってきましたので、残された時間の中で出来るだけやれることをやっていきたいというのが実感です。
一生懸命やりますのでよろしくお願いいたします。


(左から)世田谷パブリックシアター次期芸術監督 白井 晃さん
世田谷パブリックシアター芸術監督 野村萬斎さん

なお、同劇場での新ラインナップは4月19日に発表を予定しています。

 

 

世田谷パブリックシアター

 

https://setagaya-pt.jp/

 

 

 
 

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あらかじめご了承下さい。

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