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宝塚歌劇団を卒業して、第二章の幕開けとなる光月るうさんインタビュー
2023年4月30日に宝塚歌劇団を卒業した光月るうさん。
10月1日付けでACT JPエンターテイメントに所属して、第二章の幕開けとなります。
これまでのこと、そしてこれからの活動についてお聞きしました。
ーーー宝塚歌劇団を目指したきっかけを教えてください。
◆光月るう
私はテレビが大好きで、学生時代にちょうど安達祐実さんが大ブレイクした頃だったので、
憧れて児童劇団の募集を新聞で見かけて応募しました。
週1回のレッスンに通い、小さな舞台に出演したこともありました。
中学2年生で進路を考える時に児童劇団を辞めて、代わりに習い始めたジャズダンスの先生が宝塚OGの方だったんです。
そこで初めて宝塚歌劇のことを知りました。初めて観たのは高校1年生の時に、
月組のトップスターでいらした久世星佳さんのサヨナラ公演『バロンの末裔』でした。
初めて観た人は羽根や華やかなショーに目が行きがちだと思いますが、久世さんと風花舞さんのトップコンビの
大人のお芝居にどっぷりと浸り、ショーの時間も、お芝居のことで胸がいっぱいで放心状態でした(笑)。
久世さんはとても自然体なお芝居をされる方で、その姿に心射抜かれ、私もあんなお芝居ができるようになりたい!と思いました。
ーーーそこから宝塚音楽学校を受験するのですね。
◆光月るう
高校1年生の時に初めて受験をして年々入りたいという思いが強くなっていたので、
高3のラスト受験では大学進学を考えずに宝塚一本で行く!という強い思いで挑んで合格しました。
入学してからレッスンは厳しかったですし、親元を離れたのも初めてだったので生活も大変でした。
音楽学校は中学3年生から高校3年生までが受験ができるので、同期生は15歳から18歳までいます。
ある意味お姉さんでいなきゃいけないというのも試練でしたが、
舞台に立ちたい、こういう男役になりたいという想像が膨らんで、自分が決めた目標に向かって、
毎日のしんどさよりも夢を描いていた感じでした。
ーーー入団後はターニングポイントになった作品はありますか?
◆光月るう
新人公演の『夢の浮橋』です。
宝塚に入ったら一度は真ん中を目指したり、何か目立つ役をやることに憧れて切磋琢磨をしたりしますが、
ありがたいことに大空祐飛さんや霧矢大夢さん、遼河はるひさんなど男役スターさんの役をいただくようになって、
私もそういう風に目指していくんだと思い込んでいました。でも、真ん中に立つのは本当に選ばれた方。
それも分かりながらやっていく中で、上級生に言っていただいた一言で、私が目指すのはここではないなと、
ストン!と落ちるものがありました。悔しい思いもありましたが、気が楽になって。
脇役者と言われる、組の中でも支えていけるポジションなろうと、すぐに気持ちを切り替えることができました。
ーーー宝塚歌劇の代表作ともいわれる作品にも数多く出演されていますが、印象に残っている作品はありますか?
◆光月るう
『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』『ME AND MY GIRL』『スカーレット・ピンパーネル』『ロミオとジュリエット』、
そして『エリザベート』には3回出演させていただきました。本当にすごく恵まれていたなと思います。
下級生の時はグループの中の1人や若い役をさせていただきました。
中堅になってからも若いグループに入れていただくことが多かったので、そこを早く打破したいという思いもありました。
女役やおじさん、おばあさんなど老若男女、幅広い役をさせていただきました。
月組の代表として専科公演『オイディプス王』に出させていただいた時に、専科の皆さんは何を言うわけでもなく、
自分が思う芝居を稽古でぶつけていく姿を見て、あぁ役者っていいなって思いましたし、
そこから自分の芝居に対する感覚が変わってきた作品でした。
ーーー光月さんの男役像とは?
◆光月るう
華やかな世界ですが、最初に観た久世星佳さんの、地に足がついた心射抜かれたあの存在感やお芝居に惹かれたので、
お客様が舞台を観られた時に、この人がいるから安心するなという存在になれたらと思っていました。
渋さに興味が湧いたので、そういう意味ではいぶし銀のような男役を目標にしていましたね。
ーーー2018年に月組の組長に就任されました。
◆光月るう
組長になったから、いきなり組のみんなの面倒を見るというのではなく、
学年を重ねていくごとに下級生が増えていくので、常に責任持って対応をしていこうという思いでいました。
私が組長なった当時、他の組の組長さんの中でも学年的に下級生だったんですよね。
だから組のみんなともさほど年齢差もなく、近い感覚でいられました。「組長さん」と言われるよりも、
困ったらすぐに相談をしたり、すぐに愚痴をこぼすことができる、そんな存在でいられたらいいなと思っていました。
それと組長になったからパーフェクトというのではなく、私がお稽古場でありのまま居ることで
失敗する姿も見てもらいたいと思っていました。月組のみんながすごくしっかりしていて、「どう思う?」と聞くと
「こう思います!」とすぐに答えてくれるので、「じゃあそれを取り入れてやろう」とか、友だちのような距離感で、
みんなと変わらないスタンスで接していられたと思います。そういう意味では、組長らしくない組長だったかもしれませんね(笑)。
ーーー宝塚歌劇団とは、どんな場所でしたか?
◆光月るう
夢を追って入った場所ですが、一番“人として”という部分を鍛えていただきました。
願って努力をすれば、その願った自分になれることを知ることができました。
芸事の面でも切磋琢磨して、努力をしていかなければいけないのですが、
それと同時に小林一三先生が“清く正しく美しく”というモットーを掲げてくださって、仲間や先生方、スタッフの皆さん、
そしてお客様と、本当に多くの皆さんと接して、人としての精神面や自分自身を学ばせていただいた場所でした。
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