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宝塚雪組 壮 一帆退団会見 2014年09月

(2014年09月01日記載)

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東京宝塚劇場 雪組公演千秋楽
壮 一帆退団会見

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▲壮 一帆 笑顔でサヨナラ会見

サヨナラパレードの模様はこちら


壮 一帆プロフィール

兵庫県川西市出身 雲雀丘学園高校出身
1994年 4月 宝塚音楽学校入学
1996年 3月 宝塚音楽学校卒業
1996年 3月 宝塚歌劇団入団、『CAN−CAN』で初舞台
1996年 5月 花組に配属
2001年 8月 雪組に組替え
2006年 12月 花組に組替え
2012年 12月 雪組に組替え、雪組トップスターに就任

■主な舞台歴  ※劇場名のないものは全て宝塚大劇場公演
1996年 3〜5月 『CAN−CAN』で初舞台
2000年 6〜7月 『宝塚 雪・月・花』『サンライズ・タカラヅカ』(ドイツ・ベルリン)
2001年 10〜11月 『愛 燃える』劉生/(新人公演)夫差 ※新人公演初主演
2002年 10月 『ホップ スコッチ』(バウホール)クリストファー・レン ※バウホール公演初主演
2004年 1〜2月 『送られなかった手紙』(バウホール)ドミトリー
2004年 4〜5月 『スサノオ』月読
2005年 4月 『さすらいの果てに』(バウホール)ジェフリー少尉
2006年 7月 『ベルサイユのばら−オスカル編−』(全国ツアー)アンドレ
2007年 7月 『源氏物語 あさきゆめみし?』(梅田芸術劇場) 頭の中将
2009年 1〜2月 『太王四神記』プルキル
2009年 5月 『オグリ! 〜小栗判官物語より〜』(バウホール)小栗判官
2009年 7月 『ME AND MY GIRL』(梅田芸術劇場) ジョン卿/ジャッキー ※役替わり
2009年 12月〜 2010年 1月 『相棒』(ドラマシティ)神戸尊
2010年 3〜4月 『虞美人』劉邦
2011年 6〜7月 『ファントム』キャリエール
2011年 10月 『カナリア』(ドラマシティ)ヴィム
2012年 1月 『復活 −恋が終わり、愛が残った−』シェンボック
2012年 7〜8月 『サン=テグジュペリ』ギヨメ
2013年 1月 『ベルサイユのばら−オスカルとアンドレ編−』アンドレ ※特別出演
2013年 2月 『若き日の唄は忘れじ』(中日劇場) 牧文四郎
2013年 4〜5月 『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』フェルゼン
2013年 8〜9月 『若き日の唄は忘れじ』(全国ツアー) 牧文四郎
2013年 11〜12月 『Shall we ダンス?』ヘイリー・ハーツ
2014年3月14日(金)〜3月24日(月) (梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ)
ミュージカル『心中・恋の大和路』 
2014年3〜4月 月組公演『宝塚をどり』及び『TAKARAZUKA 花詩集100!!』の一部 ※特別出演
2014年6〜7月 宝塚傾奇絵巻『一夢庵風流記 前田慶次』 前田慶次
 

壮 一帆退団会見(2014年8月31日/東京宝塚劇場)

◆壮 一帆挨拶
本日はお忙しい中お集まりいただき本当にありがとうございます。
私の宝塚人生の中でとても幸せな一日を過ごすことができたと思っております。
皆様からいただいたご声援を胸に、次の新しい一歩を踏み出したいと思っておりますので
これからもどうぞ宜しくお願い致します。そして引き続き雪組を宜しくお願い致します。


---宝塚の全ての舞台を終え、壮さんにとって宝塚はどのようなところでしたか?

私の身体の半分以上が宝塚だと思います。
これからの人生で宝塚での経験以上のものを経験できるのかどうか。
それがこれからの私の新しい課題かなと思っています。
常に前を向いていくという姿勢はこれからも変えずに持っていたいなと思いますので
宝塚に居たことを誇りに、それを自信に持って次のステップに進んでいきたいと思っております。

---新しい一歩ということで、退団後の活動について差し支えない程度で教えていただけたらと。

差し支えない範囲で皆様にお伝えできればいいのですが(笑)、全く何も決まっておりません。
高速道路をずっとハイスピードで走ってきた状態だったので、しばらくは休養して、
なかなかこれまで時間が取れなかったので親孝行をしたいなと思います。

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---子供の頃からご覧になってきた宝塚の舞台を今日卒業なさいますが、
今ご自分に言葉をかけるとしたらどのような言葉をかけたいですか?


宝塚を受けたいと思った瞬間があったので、そう思った自分に「よくその道を選んだね」と言いたいです。
それがなかったらもっと平凡な人生を歩んでいたと思いますし、こんなにもたくさんの方に出会えなかったし、
こんなにも自分自身の人生が豊かになる経験をさせていただけることもなかったので、
「宝塚を受験するんだ」と思った瞬間の自分に「Good job!」と言いたいです。

---退団セレモニーの壮さんのお花がとてもきれいでした。
どのような想いであのお花を選ばれたのでしょうか。


今回こだわったのは大きさではなく、宝塚の男役の集大成として白いバラ。
そして雪組カラーのグリーンを入れました。
母が花関係の仕事をしていたのもあって、花にワイヤーを入れるのはかわいそうなので
したくなかったんです。どんなに重くても生花で、自然な状態の花束を持ちたいと思いました。

---次期トップスターの早霧せいなさんに、これからの組について伝えられたことはありますか?
もしくは伝えたいことはありますか?


これからチギちゃん(早霧せいな)を中心としたどんな雪組になるのかを
楽しみにしたいと思っているので、私は何も心配していません。
チギちゃんも私がこうしていたからということにとらわれずに、自分なりのやり方で
新しい雪組としてチギちゃん色に染めていって欲しいなと思います。
普段も段取りの細かい部分を聞いてくることはあるのですが、
楽しくしゃべっている時の方が多かったです。大劇場のショーの間はずっと横で着替えていたので、
お客様のノリや楽屋であったことを話して盛り上がっていました。
チギちゃん自身も私の姿から学んだところもあるのかなと思います。
私たちのデュエットダンスを袖から見ている姿を舞台上から見ていましたので、
チギちゃんのデュエットダンスも素敵になるだろなと、楽しみにしています。

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---宝塚人生の中でトップスターになられたからこそ見えてきたものはございましたか?

スケールの大きな話になるのですが、宝塚歌劇団が100周年という時を迎えて
これからの150年、200年に向けてどういう役割をになっていくのか、
今の日本、世界において宝塚歌劇がどういう存在なのかを、
おこがましいのですが組のトップとして私なりに考えました。
それを組子に伝えていくこと、宝塚ってこういうところなんだよ、こういう素晴らしいところなんだよ、
ということを各々が知っておいて欲しくて、機会があるごとに話してきました。

---101年目以降の宝塚への期待を。

私が考える宝塚歌劇の魅力は、女性だけの集団でパフォーマンスをしているということが
大きな特色として挙げられると思います。そして端っこの端っこ、最下級生に至るまで
全員がスターであるということ。日本国内のほかの舞台においても、世界で見ても、
それは誇れることだと思っています。ですから組子のみんなには「自分がスターである自覚を持って、
舞台のどんな場所にいても輝きなさい」ということを伝えてきました。
それが一人ひとりのエネルギーが作品を作ってくださる演出家の先生方の想像の斜め上をいく結果に
つながるのではないかなと。退団公演でそのことを強く感じましたし、きっと先生方やお客様にも
伝わっていくものだと思うので、プロとして、宝塚のスターであるということを心に留めて
やっていけば世界に通用する劇団になると言いますか、もう既にそうなっていると思いますし、
世界中の人々に宝塚歌劇を知って欲しいと思います。

---今後話があれば芸能活動を続けていきたいという気持ちはありますか?

全く無い訳ではないですが、今はそれほど強くはないです。

---ファンの方にメッセージを。

ショーでも最後のご挨拶でもお話させていただきましたが、本当に「付いてきてくれてありがとう」
という言葉です。どんなときでも、過去の壮一帆でも、つい最近ファンになってくださった方でも、
その方の人生の中で宝塚歌劇の壮一帆を一瞬でも応援してくださった全ての方々、
裏方のスタッフの方々、報道関係のみなさま、それぞれいろんな形で壮一帆を応援して
いただきましたので、そのご声援に改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

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寿の予定を聞かれ笑顔で「ないです」と答えた壮一帆は、
深々とお辞儀をして、両手で手を振り会見場を後にしました。

 

 
 

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