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歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎』、平成中村座『十一月大歌舞伎』
十八世 中村勘三郎七回忌追善公演 製作発表会見
中村勘九郎、中村七之助
製作発表会見について
歌舞伎座百三十年『芸術祭十月大歌舞伎』、平成中村座『十一月大歌舞伎』
十八世 中村勘三郎七回忌追善公演の製作発表会見が行われました。
歌舞伎座、平成中村座の十八世 中村勘三郎七回忌追善公演
製作発表会見が行われました。(2018年7月26日)
◆松竹株式会社 取締役副社長・演劇本部長/安孫子 正
(十八世)中村勘三郎さんが亡くなられまして七回忌を迎えます。
勘三郎さんの業績は今さら申しあげることはございませんが、本当に素晴らしい活動をされてきて、
皆に惜しまれて亡くなった訳ですが、その後、中村勘九郎さん七之助さんのご兄弟が手を携えて、
そしてお父様の遺志を継いで、本当に見事にここまで頑張って来られました。
この度、七回忌を迎えるにあたりまして十月の歌舞伎座、十一月は平成中村座で
勘三郎さんの七回忌の追善公演を行うことになりました。
この公演ができるのは、お二人の素晴らしい精進の上に成り立つことですが、
大勢のお客様から応援、そして支援してくださったことを改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
十月は歌舞伎座百三十年という節目の年に『芸術祭十月大歌舞伎』を上演させていただきます。
昼の部は『三人吉三(巴白浪)』の大川端(大川端庚申塚の場)では、七之助さんがお嬢吉三を勤めます。
中幕は『大江山酒呑童子』。これは十七代目の勘三郎さんから十八代目に繋がっている、
中村屋にとっても大事な狂言です。今回は勘九郎さんが酒呑童子を勤めます。
昼の部の切りは『佐倉義民伝』。これも十七代目、十八代目に続いての中村屋の
お家芸と言っても良い狂言です。今回は木内宗吾に松本白鸚さんにご出演いただき、
七之助さんが女房のおさん、そして勘九郎さんが徳川家綱公という配役で上演させて頂きます。
夜の部は『宮島のだんまり』ですが、これは多くの皆さまにご出演を賜りたいと思っております。
中幕の『(義経千本桜)吉野山』は、勘九郎さんの忠信(佐藤忠信実は源九郎狐)、
静御前には玉三郎さんにご出演いただきます。思い返すと『吉野山』は、
勘三郎さんがお父様(十七世)のご追善一周忌の時に、歌舞伎座で上演されたときに、
中村歌右衛門さんが静御前として出演され、素晴らしい舞台を見せて頂きました。
本当に話しているだけでも涙が出てくるような、そんな感じがいたします。
夜の部の切りは『助六曲輪初花桜(三浦屋格子先の場)』を上演します。
勘三郎さんは助六を上演されていなかったのですが、ご生前中にいつか助六をやりたいとおっしゃいました。
そのような思いがありまして、今回、坂東玉三郎さん、片岡仁左衛門さんにもご出演いただきます。
仁左衛門さんの(花川戸)助六に、七之助さんが(三浦屋)揚巻で公演させていただきます。
そして、勘九郎さんは白酒売(新兵衛)にご出演されます。これは勘三郎さんの十八番で、
始終出て頂いた思い出深いお役でございます。
そして(髭の)意休には(中村)歌六さん、玉三郎さんが母の(曽我)満江の役でご出演いただきます。
十一月は平成中村座です。平成中村座は、勘三郎さんが生涯をかけて、
江戸時代と同じような空間でお芝居を作っていこうという思いを元に立ち上げました。
今まで我々が知らなかったような歌舞伎の持っている力を教えてくれたのが中村座の小屋でございます。
この十一月に平成中村座で追善公演ができることは、中村座に対するお二人の思い、
そして多くのファンの方の思いに通じるものだと思っております。十一月も、十月に劣らず名狂言が揃いました。
昼の部では『(源平布引滝)実盛物語』を勘九郎さんで上演いたします。
中幕の『近江のお兼』を七之助さんが上演いたします。続いて『(江戸みやげ)狐狸狐狸ばなし』を上演いたします。
おきわの七之助さんに、中村扇雀さんの伊之助、中村芝翫さんの重善ということで、
中村座を支えてくださった扇雀さん芝翫さんにご出演をいただいての公演となります。
夜の部は一座総出演で『(弥栄)芝居賑』は、勘九郎さん、七之助さんを中心に
皆さんにご出演いただこうと思っております。中幕では『舞鶴五條橋』を勘九郎さんの弁慶で上演いたします。
続きまして(仮名手本忠臣蔵の)『七段目(祇園一力茶屋の場)』を上演します。芝翫さんの大星由良助に、
七之助さんのおかる、勘九郎さんが(寺岡)平右衛門という配役になります。
十月歌舞伎座、十一月平成中村座で通して勘三郎の追善ができますこと、本当にありがたいことだと思っております。
どうぞこの公演が多くの皆様のご声援を頂きまして、皆様方の絶大なるお力をいただきたいと思います。
皆様よろしくどうぞお願いいたします。ありがとうございました。
◆中村勘九郎
皆様、本日はお暑い中、お集まり頂きまして本当にありがとうございます。
また安孫子さん、温かいお言葉ありがとうございました。
この度、父・中村勘三郎の七回忌追善を十月歌舞伎座、そして十一月平成中村座と二ヶ月連続で違う小屋で
できますことは、祖父が父に言っていた「追善ができるような役者になっておくれ」という言葉のとおり、
松竹株式会社の皆様、また先輩後輩同輩そして関係各位様のおかげでございます。
本当に嬉しさと喜びはございます。けれど、あまりにも早く逝ってしまった父のことを思うと、
なんで追善…という悔しさと悲しみ、その相反する二つの感情が自分たちの中にはございますが、
今、安孫子さんがおっしゃられた通り、父のことを本当に好きで、愛してくれて、
そして、父も大好きだった先輩後輩同輩の皆様が出演して力を添えてくださいます。
私たちも父のモットーである「来てくださったお客様に喜んで頂ける」ような、
良い興行にしたいと思っておりますので、どうぞお力添えの程よろしくお願いします。
◆中村七之助
本日はお集まり頂きまして誠にありがとうございます。兄が申しました通り、
十月、十一月と二ヶ月連続で父の追善公演をやらさせて頂くことになりました。
これはひとえに松竹株式会社の皆様はもちろんのこと、大先輩が皆様出演してくださいます。
そして同輩後輩、そしてこの公演に携わる関係者の皆様に本当にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
父も、祖父も上で喜んでくれていると思います。その十月、十一月は、とても大切な公演で、
今、安孫子副社長が演目と配役を読み上げただけでも震え上がるような役ばかりでございます。
一生懸命、父のため、祖父のため、そして父を愛して下さったお客様のために、命がけで一生懸命勤めます。
どうぞ、よろしくお願い致します。
―――七回忌ということですが、お父様の存在はお二人の中でどのようになっていったか、
また、お父様の偉大さを感じるときは?
◆中村勘九郎
逝ってしまった当初1~2年くらいはあんまり考えることはできなかったのですが、
八月の納涼歌舞伎や渋谷・コクーン歌舞伎、平成中村座といった、
父が闘って創り上げていったものを私たちが引き継ぎやっていると、
やはり出ている父を見て大変だなと思っていたのですが、本当に厳しい状況の中、役一つに集中するだけではなく、
興行全体のことや色々なことに目と気を配らなければいけなくて、その中でああいった私たちの胸の中、
心の中、魂の中に残るようなパフォーマンス、芝居をし続けていた父の精神力と芝居を愛する心というものに
改めて尊敬しています。“親孝行したい時に親はいない”と言いますが、身に染みて思う日々でございます。
この十月、十一月は私たちの力だけではございません。皆様の力を借りて追善興行ができるということを、
父も喜んでくれると思うので一生懸命やるしかないですね。
◆中村七之助
改めて思うのは、本当に父は人々に愛されていたんだということを7年間ずっと思い続けていました。
7年経っても色褪せることなく、それがどんどん大きくなっていると感じております。
いつも舞台に出る前に父の名前を心の中で唱えて「お願いいたします」と言って出ているのですが、
まだどこかに居るようで、どこにも居ないようで淋しい想いもあります。
いつも父だったらどう思うか、父だったらどうするかということを考えて人生を送っておりますので、
この先も父のことを常に考えて生きていく、そして父が残してくれたもの、父が愛したものを僕も愛し、
一生懸命勤めていきたいと思っております。
―――追善興行を歌舞伎座と勘三郎さんに縁の深い平成中村座を浅草で上演することになった
経緯と思いを教えてください。
◆安孫子 正
三回忌の時に歌舞伎座と新橋演舞場で新派の公演をさせていただきました。
七回忌では、先ほども申し上げたように、本当に大きい俳優さんになられて、
若手のリーダーと言っても良いくらい本当に頑張って下さっています。
勘三郎さんの事を考えた時に歌舞伎座の大舞台を背負ってった俳優さんであったのですが、
その一方で平成中村座を創り上げたという本当に原動力があった方です。
最初に四国のこんぴらさん(香川県琴平町)に行った時に、あそこの芝居の空間が、
江戸時代にどんな歌舞伎をやっていたのかということで金丸座での歌舞伎公演もできました。
そして今の時代だったらどんな劇場でやったら良いかということで、渋谷のシアターコクーンで上演してきました。
従来のお芝居小屋の中で歴史を振り返ると最初は原石だったものがどんどん磨き上げられて、
そして芸術的な作品になっていく。江戸時代の最初の歌舞伎に接する息吹というか、
これは大劇場では考えられない。平成中村座という空間での歌舞伎の面白さ実現してくださった方なので、
ぜひ追善興行は、そのどちらかということで無く、両方でやるということが、
一番、中村屋(勘三郎さん)に対しての気持ちになるんじゃないかとご相談したら、ご賛同いただけました。
本当に嬉しく思っております。どちらかということではないのです。
同じ時代に、歌舞伎座での歌舞伎、平成中村座での歌舞伎を、お客様に両立して観ていただきたかったのです。
◆中村勘九郎
当初は、平成中村座で二月ということだったのですが、安孫子さんから歌舞伎座でもとお話をいただきました。
歌舞伎座は歌舞伎役者にとって聖地なので、そこで追善公演とは本当に父が喜ぶなと思いました。
母に伝えた時も喜んでくれました。本当にありがとうございます。
やはり歌舞伎座は聖地です。そして平成中村座も聖地です。父が19歳の時に、唐十郎さんのテントでの芝居を観て以来、
このようなところでやりたいというのは父の夢でした。その夢の小屋で色々な事ができるというのを証明したのが、
ロングラン公演でした。私たちも出演させていただいて、色んな経験をしました。悔しい思い、悲しい思い、怖い思い、
それ以上に楽しさと何度も震えるような喜び。そんな感情をこの小屋で感じさせていただいて。ずっと続けていきたい。
色々なことができると確信した時でもあったので、それからすぐ逝っちゃったので夢が途中で…ね。
少しブランクが開きますが、その夢を僕たちが引き継いで。また僕たちだけではなく、平成中村座を愛して下さっている
先輩・後輩、そしてまだ出演していない方にも、今後出演してもらって。この芝居小屋の空間での歌舞伎を、
これからも続けていきたいなというのが私の夢です。
◆中村七之助
父が違った意味で一番愛した二つの小屋だと思います。一つはもちろん歌舞伎座。
工事中の歌舞伎座を見て「これは宝箱だね。ここから色々なものがどんどんできてくるね」と言っていました。
その歌舞伎座の舞台に立てないで父は逝ってしまいました。その歌舞伎座での興行は先輩方や後輩、
スタッフの皆様のお力を借りて公演ができるということは本当に嬉しく思います。
そして父が愛した、父の夢であった平成中村座。この素晴らしい小屋で二ヶ月連続で興行をやらせていただけるということは、
私自身も愛している小屋なので、本当に父は喜んでいると思いますし、しっかりとやらなくちゃいけないと思っています。
―――特に思い入れのある役、また注目して欲しいことは?
◆中村勘九郎
追善興行なので中村屋に縁のある演目を松竹の皆様も含め、諸先輩方もお考えいただきました。
十月の『大江山(酒呑童子)』は、父は中座で一回、歌舞伎座で二回しかやっていませんが、
中村屋に縁のあるもの。私もおじ(中村芝翫)の襲名の時に南座で踊らせていただき、いつか歌舞伎座で
やりたいと思っていた演目なので、とても嬉しく思っております。本当に全部大変なんですよ(笑)。
先ほど安孫子さんがおっしゃった通り、『(義経千本桜)吉野山』は祖父の追善の時に父が歌右衛門の
おじ様と踊って、その思い出話もよく話してくれたり。本当に大恩あるというか偉大なる(坂東)玉三郎さん
と踊らさせていただくのは嬉しいです。本当に幸せです。そして『助六(曲輪初花桜 三浦屋格子先の場)』では、
まさか(片岡)仁左衛門のおじ様のお兄さん役をやるとは思ってもいなかったので、これはちょっと大変です。
祖父や父が醸し出す白酒売りの匂いを、子どもの時から観ていて「楽しいな、いつかやりたいな」思っていたので、
それを仁左衛門のおじ様、また女方の大役である揚巻を七之助がいただいて。その中で出演させていただける
ことを本当に嬉しく思います。平成中村座では『(源平布引滝)実盛物語』はまだ出ていなかったですね。
『実盛物語』は、父が最初にやった時は(市村)羽左衛門のおじさんに習ったのですが、まだ子どもだった僕にも、
「お前も見ておきなさい」と言って歌舞伎座の楽屋の次部屋でずっと聞いていた思いで深い演目でございます。
私も何度か出演している大好きな作品で、平成中村座の空間にとてもマッチした時代物の一つではないかと思います。
『近江のお兼』は七之助がやってくれます。『(弥栄)芝居賑』は湿っぽくならないで、平成中村座に出演する
みんな総出でお祭りのように賑やかにしたいと思います。そして『舞鶴五條橋』は萩原雪夫先生が
お書きになった作品ですが、常盤御前が出てきたり、武蔵坊弁慶と牛若丸の五條橋の話がメインですが、
踊りでも平成中村座ならではの演出方法なんかを使えたらいいなと思っております。
そして(仮名手本忠臣蔵)『七段目』。これも(寺岡)平右衛門とおかるの兄妹は、平成中村座の『忠臣蔵』
Aプロ〜Dプロの公演の時に初めて七之助とやり、あの父が喜んでくれたものなので、その時の初心を忘れず、
また一から稽古し直していい『七段目』にしたいと思っております。
◆中村七之助
役の一つ一つが大役でございます。『三人吉三(巴白浪)』もそうですし、『佐倉義民伝』では(松本)白鸚の
おじ様の女房をやらせていただける。父が祖父を亡くした時に、白鸚のおじ様によく使っていただいたと
生前ずっと私たち兄弟に「本当にお世話になった人なんだよ」と、ずっと言っていました。
父が亡くなった後にも私におさんという大役を、自分(白鸚さん)の女房をやらせて頂けるということに
本当に驚きましたし、ありがたいという気持ちで一杯です。
初役なので、どこをどう演じるというおこがましい話はできませんが一生懸命演じるだけです。
(『助六曲輪初花桜 三浦屋格子先の場』の)揚巻も、女形の中では大役中の大役でございますし、
それも助六が(片岡)仁左衛門のおじ様で、とても久しぶりにやられる時に、歌舞伎座で私を揚巻にというのは、
もう優しさと、父に対する愛でしかないので、玉三郎さんにもよく教わって演じたいと思っております。
父の『近江のお兼』を私は大好きで、一度踊らさせていただいたのですが、またやりたいなと。
あのような華やかな踊りは平成中村座にピッタリなのではないかと思います。
それと芝居の中で、馬が出てくるのですが、この馬もなかなか技術がいるものです。
いま歌舞伎界に馬をやる役者というのは、なかなかそう簡単に見つからない状況下で、
一度は断念しそうになったのですが、これも新たな人を作っていかなくてはいけないということで、
これから人選して、その馬の中の人たちも初役になると思います。
息をピッタリと合わせないといけませんし、見せ場でもあると思います。歌舞伎の歴史、
先人たちの築き上げてきたものを受け継ぐという理由でも、この『近江のお兼』を選ばせていただきました。
『狐狸狐狸ばなし』は二度やらせて頂きましたが、うちの父親の伊之助が最高に好きですが、
中村扇雀さんの伊之助も大好きなので、肩の力を抜いて観て頂ければ良いと思います。
―――2019年 大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の撮影で、
体を絞ってスッキリされていますが、舞台でどう切り替えていきますか?
◆中村勘九郎
撮影が舞台初日ギリギリまでありまして、十一月の公演が終わったら、すぐに撮影が再開されます。
一日でいきなり体重を増やすことはできないのですが。僕は元々膝が悪いのですが、
先日、平成中村座スペイン公演で『連獅子』を踊ってみたら、とても身体が動きやすかったんです。
膝の痛みも全然無くなったので、これは良かった!とと思いましたね。でも、舞台は体力というか
糖質も入れなければいけないので、体に気をつけていきます。料理は僕がするのではなく妻がします。
歌舞伎座百三十年『芸術祭十月大歌舞伎』
十八世 中村勘三郎七回忌追善
日程:平成30年10月1日(月)~25日(木)
会場:歌舞伎座
公式サイト
『十一月大歌舞伎』
日程:平成30年11月1日(木)~26日(月)
会場:平成中村座(浅草寺境内)
公式サイト
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