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清水順二さん スペシャルロングインタビュー 30-DELUX創立15周年記念 2017年01月

(2017年01月13日記載)

『エンタメ ターミナル』では舞台を中心としたエンターテインメント関連情報をWEB記事として発信しています。
掲載内容は、掲載日付のものとなりますので、最新情報は各自ご確認ください。

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30-DELUX創立15周年を記念して
代表・俳優 清水順二さん スペシャルロングインタビュー

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<しみずじゅんじ プロフィール>

1972年11月8日生まれ。愛知県名古屋市出身。
中京大学体育学部卒業後、会社員、高校教師、スタントマンを経て、97年、俳優升毅率いる劇団「MOTHER」に入団し、全公演の中核俳優として活躍。2003年1月、演劇ユニット30-DELUXを立ち上げ、今では年間2万人の観客動員を誇るユニットに成長させる。 2015年11月には、初の海外(ロンドン)公演を成功させ、初日のマスコミレビューで5つ星を取るという快挙を成し遂げた。183cmの長身を活かしたダイナミックな殺陣とキレのいい演技で、コメディーからシリアスまで幅広くこなす。
30-DELUXでは「製作総指揮・殺陣師・俳優」という三役をこなし、舞台・映画・TVのバラエティ番組にも積極的に参加する。 最近の外部出演は、『THE SHINSENGUMI 2015』、『BURAI~女王陛下は武士がお好き~』、TOKYO MX「EBiDAN」、映画「舞姫〜ディーヴァ」他。
アクションコーディネーターとしても活躍し、主な外部作品として、二宮和也主演『見知らぬ乗客』、村上信五主演『If or…Ⅲ』、ライブ・ファンタジー『FAIRY TAIL』、斬劇『戦国BASARA』関ヶ原の戦い、など多数参加。2017年3月17日からNETFLIXで配信されるオリジナルドラマ「野武士のグルメ」でもアクション指導を担当。

30-DELUXの清水順二さんのロングインタビュー
(取材日:2016年12月20日/撮影・執筆・住川絵理)

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<<<<<子供の頃から大学時代>>>>>


―――今日は清水さんの単独インタビューの機会をいただいたので、掘り下げた話を伺えたらと思います。
よろしくお願いいたします。一気にさかのぼった話になりますが(笑)、子供の頃はどんなことをしていましたか?


子供の頃から身体を動かすのが好きでスポーツばかりをやっていました。
小学校2~3年の頃から野球を始め、大学時代までずっと練習に明け暮れる毎日でした。
子供の頃から野球選手になるのが夢で、特に読売巨人軍が大好き。
もう自分の中で勝手にプロ野球選手になるつもりでいました。

―――プロ野球選手を本格的に目指していたのですね。

中京大学の体育学部に入り、野球の試合で3番、4番打者として打たせてもらうこともありましたが、
やはりプロの壁は高いなと感じました。「俺はプロにいけるレベルではないかも…」と大学3年生の時に気付いたんです。
「あれ、契約金1億円のつもりでいたのに!このままだと会社員か?」って考えた時は、自分の中で衝撃でしたね。
実は、高校時代に愛知県選抜チームで同期だった人の中に、元・北海道日本ハムファイターズの稲葉篤紀選手がいました。
彼は法政大学に進学してプロ野球選手になりましたし、一学年下だった鈴木一朗選手(後にイチロー選手)も、
今なお世界で活躍しています。彼らがプロで活躍し、どんどんレベルを上げているのを見て
「一体俺は何をやっているんだ?」と思った時期もありました。

―――稲葉篤紀選手やイチロー選手が活躍している姿を見て、自分も頑張らなきゃと思われたのですね。

自分がまだ劇団の新人でいい役をもらえない時に、ちょうどイチロー選手が年間200本安打達成という
ニュースをやっていて、なんだか悔しくなって思わずテレビを消したこともありました。
稲葉選手は最近引退しましたが、イチロー選手はまだ現役で頑張っていますからすごいですよね。
今は心から応援しています。僕も40歳を超えましたし、「アクションはそろそろきついかな」と思っていたんですけど、
イチロー選手を見ているとそんなこと言ってられないなって思います。

―――大学時代の思い出は他に何かありますか?

野球選手を志して中京大学体育学部に入学したのですが、野球も武士道に通じるような気がしていたので、
柔道や剣道もたしなんでみたいなと思って、体育学部の中にある武道学科を選択しました。
もちろん勉強もやりますが、その学科は武道の授業が多いんです。選択した後で、
柔道も剣道も三段を取らないと卒業出来ないということが判明し、恐ろしい日々が始まりました(笑)。
月に1回位、昇段試験に行くのですがそれがとにかく恐怖でした。全国大会に行ったような中高生が大勢いる中で、
僕は身体だけは大きいけどほとんど初心者レベル。たとえ身体の大きさで勝っていても全然試合で勝てないんですよ。
即効、中に入られて投げられるパターン(笑)。勝たないと昇段しないのであれは大変でしたね。
大学時代の4年間は、野球の練習よりも柔道や剣道の方が大変でした。必死に頑張ったお陰で
無事に三段を取ることが出来て卒業しましたが、あれは今思い出しても相当きつかったです。

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<<<<<社会人になってからも・・・>>>>>


―――その経験が後にアクションや殺陣で役立つと思うと面白いですね。
プロ野球選手を断念した後は、どのようなことを考えましたか?


まず、社会人野球の先輩たちの話を聞きに行きました。先輩によると、午前中に仕事をして午後から野球の練習を
するということでした。一般的に、大学を卒業して就職したら営業職から始めるケースが多いと思いますが、
午前中しか働けないと営業職は出来ないんですよね。そうなると例えば自動車会社のようなところに入ったとすると、
工場の部品のラインで働くことになると聞きました。社会人野球を辞めた後はおそらくずっとそこで働くことになるので、
「人と話すことが好きな自分が機械相手に黙々と働くことが出来るのか?」と考えたら、ちょっと違うなと思いました。
悩んだ末にここで野球を続けることは諦めて、会社員として営業職に就いて、努力を重ねてそのうち独立して
会社を作るか、お店を開くかしようと思うようになりました。

―――人と接する仕事に目を向け、気持ちを切り替えたのですね。

体育会系の人材を採用してくれる会社も多いので、その中のひとつ、家具メーカーに入って
テーブルやイスの販売営業をしていました。2月と3月に研修があり、そのまま地元で頑張るつもりだったのですが、
支店長から「清水君は東京タイプだから東京に行きなさい」という良く分からない辞令が来まして(笑)。
「えっ、俺は東京タイプなの?」と思いながら、4月半ば位にはもう東京に住んでいました(笑)。
1年間東京で営業をやりながら過ごしているうちに「野球を教えたいな」という気持ちが湧いてきて、
教員採用試験を受けてみようと思って勉強を始めたんです。夏休みを利用して東京都立の保健体育科の
教員採用試験を受けさせてもらったのですが、なんと受かっちゃったんです。
おそらくすごい倍率だったので、自分でもビックリでした。マークシートがうまいこといったのか、
陸上競技や水泳などの実技の成績が良かったのか。受ける前に会社に報告し
「教員採用試験に合格したら退職していいよ」と言われてはいたのですが、まさか本当に受かるとは
思っていなかったと思います。でも選ばれたからには頑張りたいと思って、3月で家具メーカーを退社し、
社会人2年目に都立高校の教員になっていたのです。

―――そんな急展開だったのですね。

保健体育の教員として働き始めて何カ月か経った頃、生徒の中に演劇をやっている子がいて、
「初舞台で初主演なので観に来て下さい」と言われ、生徒たちと一緒に観に行きました。
ずっと体育会系で育った自分は演劇とは全く無縁だったので、さほど興味もなかったのですが、
すごく綺麗な子だったので「じゃあ、みんなで行こう!」と(笑)。応援に行って、
カーテンコールではその子も泣いていて、一緒に行った生徒もみんな感動して泣いていて、
「先生面白かったですね」と言われた時は「たいしたことねーよ」と言いつつも、
心の中では「最高だな。すごい世界だな。面白いじゃないか。舞台ってなんなんだ」と思っていました。
演劇を毛嫌いしていた自分が、その生徒さんのお陰で観る機会が出来て「こんなに面白い世界があったのか」と
思ってしまう訳です。そしてすぐさま校長の所に行き「俳優になりたいんです」と言ったら
「お前は馬鹿か!!!」って言われました(笑)。まぁ、そりゃそうですよね(笑)。

―――またもや急展開ですね(笑)。思ったら即行動のタイプなのですね。

はい、最初の夏休みの時点でもうそんなことが起きていました(苦笑)。俳優になるにはどうすればいいのかを考え、
夏休み中に色々調べて、日光江戸村に興味を持って行ってみたんです。忍者ショーがかっこよくて、
こういうのをやってみたいなと思いました。だから学校を辞めて日光江戸村に行くことにしようと心に決めたのです。
ただ退職したものの、すぐには日光江戸村も募集していなかったので飲食店のアルバイトをしながら
3日に1回位、日光江戸村に電話して「バイト募集していないですか」って掛け続けたら、
「君さ、しつこいな。そんなにしつこい奴は初めてだよ(笑)」と言われましたが、
「なんとかお願いします」とお願いし続けたら、たまたま中途採用試験があり、
受けさせてもらえたんです。そして採用していただけました。

―――熱い思いが通じたのですね。日光江戸村ではどんなことを?

日光江戸村には2年間いました。まず始めにチケットのもぎりだけを2~3カ月やるんです。
途中、ショーの照明のボタンを押したりして、その後「ありがとうございました」と客出しして。
1日7~8回ショーがあり、ゴールデンウィークや夏休みは12回ぐらいやる。それを延々とチケットをもぎるだけですから、
時間も曜日も分からなくなってくるんです。日光江戸村には俳優修業の為に来ている人も多く、
自分はスターになるっていう気持ちで来ている人はその時点で辞めちゃう人も多かった。
でも僕は忍者の格好をしてもぎりをやるのが楽しかったんです。
女の子が来て「忍者さん、サインしてください」って言われると結構気持ちいいし(笑)、
観光客の人と仲良く話すのも楽しいし。それで僕の顔を覚えて何度も来てくれた子もいました。

―――じゃあ、その時からファンが付いていたんですね。

ある意味、ファンですよね。当時はメールもないので、江戸村の事務所に「忍者さんへ」って手紙が届くんですよ。
忍者といってもたくさんいますが、僕との写真が入っていると僕宛だなと分かるので事務所の人が届けてくれるんです。
それをきっかけに僕は返事を書いて投函する。だいたい1日多い時は2~3通ペースで来るので、
毎日その返事を書き続けました。向こうは返事が来ると思っていないから驚いたみたいですけどね。
そのお陰で遠方からまた来てくれるんです。2年間いて、僕が日光江戸村を離れる時
「この日がファイナルステージです」っていうお知らせを500人位の人に送ったんです。
そうしたらそのうちの250人以上の方が来て下さいました。

―――前代未聞の話だったんじゃないですか?

日光江戸村で10年位働いている方はたくさんお客さんが付いているんですよ。
でも1~2年で最後にここまで集まった人は見たこと無いって言われました。
あまりにも当日、僕目当てに来る人が多かったので、みんなが驚いていました。
アクションの座長が「清水のお客さんがたくさんいるから」と言って、
<清水順ニ最終公演>という張り紙までしてくれて。野外ステージだったのですが400人位の方が集まって、
最後の挨拶までさせてもらって、確かにちょっとした伝説だったのかもしれません。

―――そこで手紙を書き続けていたのも大きいですよね。

その後、大阪のMOTHERという劇団に入ったのですけど、僕は裏方しかやらせてもらえない時も手売りで
100枚以上チケットを売っていました。裏方ですから、暗転中にものを運ぶだけの感じだったんですけどね。
劇団の座長から「清水はなんであんなに楽屋面会が多くて、綺麗な人がたくさん来るんだ?」って
聞かれたことありますよ。楽屋に面会に来た人にも「俺の暗転中の転換はどうだった?」とか言っていたので、
清水はそういう気持ち悪い会話をしているって話題になっていましたよ(笑)。
結構早い段階でいい役をもらえるようになって、その頃1カ月公演で手売りで300枚以上は売っていました。
新人のくせに「ギャラはそんなにいらないんで、せめてチケットを売ったら1枚に付きいくら位戻してくださいよ」と
チケットバックの交渉をしましたから(笑)。

―――どうすれば観に来て下さるかを考え、手紙の返事を書いたところから
営業のノウハウが出来あがっていったのかもしれないですね。


演技が出来ない頃からそういうことはやっていましたね。あと、殺陣が出来るので演出家のG2さんが
PARCO劇場デビューした頃から、殺陣師として連れて行ってもらっていました。
2000年の『人間風車』という舞台で殺陣指導者として生瀬勝久さん、阿部サダヲさん、八嶋智人さんたちと
御一緒させていただいたんです。まだ劇団MOTHERに入って2年目位なのに。この公演がきっかけで、
いろんなところからお声掛けをいただくようになりました。殺陣指導でお手本を見せると
「清水は一番殺陣がうまいから今度役者としても出てよ」と言ってもらえるようになっていったんです。

―――殺陣が出来るとイメージしやすいので自然と役がつくようになったのですね。

そうなんですよ。僕自身もその頃、殺陣をやると役がもらいやすいということに気付いて、
その技術を磨いてやっていきたいなと思ったんです。

―――日光江戸村で2年間やったお陰ですね。

日光江戸村のありがたいところは、昼間チケットもぎりをしている時でも夜に基礎稽古をやってくれていたんです。
月曜日 日舞、火曜日 演技、水曜日 殺陣 木曜日 アクロバットという感じで、
入って1年目と2年目はちゃんとレッスンを受けさせてくれるんです。幕間には先輩に教えてもらって、
デビューしてからも色々学んでいきました。音響も照明もひと通りのことをやらせてもらい、
着付けも自分で出来るようになった。江戸村のセットで大河ドラマの撮影があるような時は、
からみとして出させてもらったこともあります。

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<<<<<劇団創設、プロデュース公演のきっかけ>>>>>


―――本当にそこでの経験が後に活きるのですね。
着物もただ着られればいい訳ではなく、気崩れないコツなどもあるんでしょうね。


忍者の時は衣裳をかぶっているので被り物や羽二重もしないんですよ。
でも時代劇の撮影の時や侍の時にはかつらを付けていたので自分用のかつらも揃っていましたし、
2年間でメイクや着付けも出来るようになりました。ちょっとアクションがあった時に、
胸元がはだけると気持ち悪いので、動きながら少しずれたら引っ張って直します。
そういうことも含めて僕にとって全ての基礎を日光江戸村で学んだということですね。
うちの劇団の若い子たちにこういう話をすると、「日光江戸村に行ってみたい」って言うんですよ。
僕もまだ交流があるので、そういう子を半年間、日光江戸村に派遣するようなこともあります。
みんな見違えるほどたくましくなって帰ってきます。やっぱりお客さんの前で一日8回も公演をすることって
なかなかないですからね。僕も日光江戸村にいた頃、2年間で3000ステージ位やっていますから。
だから10年位やっている人は相当上手いんです。半年に一回演目が変わりますし、アクロバットは出来るわ、
殺陣はうまいわ、ダンスも出来るわ。僕が劇団を始めたいな、公演のプロデュースしたいな、と思ったきっかけは
そこにあります。あそこにはすごい人がたくさんいる。そういう人たちを自分でプロデュースした公演に呼んで
世間に示してみたいなって思ったんです。

―――スポーツ選手も現役引退後に何をするか迷うことがあると思いますが、それに近いですよね。
30-DELUXは劇場に入った瞬間から楽しんで欲しいという精神で“テーマパークライブ”とも言うべき形で活動していますが、
まさにその原点がテーマパークにはあるのですね。


僕はテーマパークで何年もやっていた人の技術をとても信頼しているので、
そういう人に出演してもらって、まさにテーマパークのようなカンパニー組織を作りたいなと思っています。
アクション中心で分かりやすくて笑えるエンターテインメントを毎日のように観られる形にしていくのが夢です。

―――プロデューサーとしての眼や、先々を読む洞察力はその頃からお持ちだったのですね。

学生時代、バーテンダーのアルバイトをした時に経営者の方からいろんな話を聞いて、
経営者ってかっこいいなって思っていました。イベント企画をしている人の話を聞いて面白そうだなと思いましたね。
大学の卒業パーティーも僕が中心となって企画しました。DJに機材を持ち込んでもらって、
ディスコパーティーみたいなことをやりました。

―――企画やイベントを考えるのもお好きなんですね。学級委員などもやっていました?

そういうのも積極的にやるタイプで、子供の頃からイベント企画を考えるのは好きでしたね。
学生時代に居酒屋でアルバイトをしていた時も「お客さんが少ないから平日にイベントをやろう」となって
色々企画を考えました。大学時代2つ下の学年に仲良くしていた室伏広治さんがいたのでゲストに呼んで
来てもらうこともありました。お客さんがたくさん来て、店長から金一封もらうことも(笑)。
劇団で下積みしている時も制作を手伝ってダイレクトメールの方法を教えてもらったり、
電話先行の電話番をやらせもらったり。「4枚でお願いします」と言った人には「8枚でよろしいですか」って
冗談を言うと、「いやいや、4枚です。あれ、どなたですか?」と聞くので「役者の清水です」と答えると
「あぁ!清水さん」っていう会話が生まれるんです。そういうのも楽しくてね。
そういう経験があったので、プロデュースを始める時に、何を用意すればいいかがイメージ出来たんです。
演劇の制作はとても大変ですし苦しいこともたくさんあるけど、それでも楽しいなと思えるんです。

―――経験した全てのことが今の清水さんに繋がっていて、ひとつも無駄になっていない、というか、
無駄にしていないですね。


俳優になってからキャラメルボックスや第三舞台の野球チームと対戦したり、
そういうところから繋がりが増えていったので、野球をしていたことも無駄にはなっていません。
うちの若い劇団員にも野球をやっていた子がいて「じゃあ東京ドームに行こう」と誘って一緒に野球観戦を
することもありました。演技のダメ出しをするとシュンとしていても野球の応援になると
ものすごいハイテンションになっていて、そういう面を見られるのも面白いなって。
会話ってそういうところから生まれるものだと思います。

―――清水さんは思ったらすぐに行動に移していて、そのスピード感がすごいですよね。

考えている時間が無駄だな、考える前に動いて失敗した方がいいや、と思うタイプなんです。
失敗したら失敗したなりに考えますから。一番いけないのは考える時間が長すぎて
何もやらない前から失敗してしまう形。見送り三振は嫌なんです。とにかく振ろう、
徐々にボールに近付いて次の打席に打てるかもっていう、攻めの姿勢が必要だなって。

―――劇団の組織が大きくなればなるほど守りに入りたくなる時もないですか?

僕が守りに入ると劇団は終っちゃうって思うんですよ。僕みたいにまっすぐな人間は攻めていきますが、
誠実な人たちが近くにいてくれるので、そういうスタッフたちが僕が走りすぎた時に止めてくれます。
周りの参謀たちに助けられているなと思いますね。僕一人じゃ何も出来ないですから。

―――必ず誰かの影響を受けて、次の一歩を踏み出していますね。

最近は、徹底して毎日のように違う人と食事をして刺激を受けています。
ベテランの方の話も勉強になりますが、同世代の人と会うのも楽しいです。最近、視野が広がって来たような気がします。

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<<<<<30-DELUX15周年 今、思うこと>>>>>

―――2017年、30-DELUXは15周年ですが、改めてこの15年を振り返るといかがですか?

今までは勢いでやってきたので、僕自身がもっと勉強をしないとダメだなと思っているところです。
台本もしっかり読み込めるようになりたいですし、いろんなことを中途半端にしたくないですし、
人を見る目ももっともっと養っていきたいです。いい意味で先読みが出来るようになるには、
知識量、勉強量を増やさなきゃと思って、本、雑誌、インターネット、テレビなどで情報を入れて日々更新しています。

―――確かにそういう知識やアイデアは放出するばかりでなく、インプットしていくことも大事ですよね。

そうなんですよね。何年か前はがむしゃらに公演を打ち、外部出演をして忙しくしていましたが、
気付いたら新聞も読めていない、テレビも付いていないという状況になって、これじゃだめだなと。
バランスのいい感じでやっていかないといけないですよね。

―――芝居が始まる前の前説にも影響してきちゃいますものね(笑)。

そうなんですよ(笑)。前説をやり始めたのは8年前、ウケるためにやっていた訳ではないのですが、
お客様に親しんでいただくためにそういうスタイルを築きました。最近は若い子にも任せていますが、
僕にやって欲しいというオーダーがあって出て行くと「清水さんのを聞けて良かった」という意見もあれば
「前説のスタイルが昔と変わらないんだけどなんとかならないものか」という意見もあって(笑)。
これだけたくさんの方が観て下さるといろんな意見も出てきます。誉められる意見ばかりよりも、
ダメ出しの意見も知りたいなと思うんですよね。そういう意見をいただくと、もちろん悩むのですが、
それがヒントに繋がったりすることもあります。昔は短気だった自分も最近は出来るだけ怒らずに、
若手にチャンスを与えて「自分たちで考えなさい」というスタンスを取ることが多くなってきました。

―――そう変わっていったのは何かきっかけがあったのですか?それとも年齢と共にですか?

今の20代前半の子と僕らの世代は、絶対に違うんですよね。僕らの世代はしかられて
ダメ出しをくらって育ってきたんです。でも今の人たちに「お前何をやってんだよ」と言うとシュンとしちゃうんです。
怒るのではなく理路整然と伝える。そして「どうしてもそうしたいというのであればちゃんと理由を述べなさい」と促す。
自分の感情を口に出して言えない人は伝わらないし、それは優しさではないと思っているんです。

―――そういうことを話すのも大事なコミュニケーションですものね。

そんなこともあって、2年前から3カ月に一度劇団としての定例会を開き、不満でもいいから
丁寧な言い方でちゃんと意見を伝えて欲しいと言っているんです。それを聞いて「こちらが悪いから謝る」
ということもあれば「それはこう考えるべきだと思う」というアドバイスをすることもあります。
若い人を育てる為にそういうことは大事だと思うんです。

―――そのやり方も、いつもおっしゃっているコール&レスポンスですね。

そう、コール&レスポンス、「サーティーと言ったらデラックス!でお願いします」ですね(笑)。
そういうやり取りをしていくうちに、理屈で物を考えられるようになるし、心の中で思っていることを
伝える方法をマスターしていく。そうすれば、理解力ある豊かな人間になれると思います。
僕も俳優としての演技力を磨くには日常の経験の積み重ねが大事だと思っているんです。
舞台上ではセリフも殺陣も一瞬の駆け引きなので、相手の気持ちを読むというのも大切です。
駆け引きが出来る若い人が育って欲しいですね。僕が10年掛けて培ってきたものを5年で教えることも可能だと思うんです。
若いうちから自立した演劇人を育てたい。そのためにはやはりコミュニケーション力が大事だと思います。

―――作品選びという観点で考えると、この15年間で変化はありましたか?

劇団立ち上げ当初は原作があるような物ではなく、創作物のオリジナル作品ばかりをやっていました。
最近の演劇界は小説、アニメ、ゲームの舞台化がどんどん増えていますよね。そこが一番変わってきたなと思います。
30-DELUXは、オリジナルをずっとやってきた劇団なのでオリジナルを作るということも想定に置きつつ、
これからは原作物にも目を向けて行かなければと思っています。

―――作品を創作する上で大事にしていることは?

作品のこだわりとしては「30-DELUX色に染めることが出来るのはどんな作品だろう?」ということです。
まず、僕が面白いなと思う脚本家に声をかけて、「30-DELUXはこういうことをやりたいと思っていますが、
あなたの世界観で30-DELUXの芝居を書くとしたらどういうものを書きますか?」と投げかけてみます。
それから「笑いがあって、殺陣があって、泣けて分かりやすいもの、その要素は絶対に入れて欲しい、
それ以外はあなたの得意分野のものを見せて下さい」とお願いするんです。
殺陣と言えば時代劇というのがお決まりなので、これまであまりやっていなかったのですが、
戦国時代物や忍者物をやるとお客様の反応はいいんです。そういうことも踏まえた上で
新しいジャンルも作りたいなと探っていく中で、脚本の西森英行さんが「30-DELUXがすごい劇団だというのを示すために、
歌舞伎などを題材にしたものに挑戦するべきだ」と言ってくれたんです。
そこから『新版 義経千本桜』や『新版 国性爺合戦』が生まれました。『新版 義経千本桜』の時も
水 夏希さん主演で何をやろうかとなった時に、義経が女性だったという設定はあまり聞かないからどうですか
という話になって、(宝塚歌劇団で男役だった水さんが演じるのであれば)それは面白いなと。
水さんの強さと心の奥底に眠っている儚さがうまく表現された舞台になったのではないかと思います。
主役がガンガン戦っていく『新版 国性爺合戦』は30-DELUXにぴったりの作品になったような気がします。

―――脚本家の方によっても活動の方向性が広がっているのですね。

本当にそうで、西森さんや毛利亘宏さんは「30-DELUXでこんなのをやったらどうですか?」って言って下さるので、
どんどん幅が広がっているんです。僕はその方たちの世界観を壊したくないので
、打ち合わせの段階で詰めた後、脚本が上がってきてからは細かいところでこう直してというのは言いません。
役の出番の量ぐらいは言いますが、設定を変えろということは極力言いたくないですね。

―――30-DELUX色に染めるにはどのような方法があるとお考えですか。

脚本を作る前によく話し合うということですね。議論をして、役の大きさや上演時間等、
盛り込みたいことはそこで伝えます。初めての方は議論しますが、慣れている方にはその段階でも
僕はそんなに意見を言わないです。自分のことに関して言うのであれば、30-DELUXで僕の役はシリアスだけで
終わるのはなるべくしたくないということ。「殺陣が無い役はどうですか?」と言われることもありますが、
お客さんのニーズを考えると入れた方がいいんじゃないかなと今は思っています。30-DELUXの最低限のルールは
入れてもらって後は自由に考えてもらう。作家さんたちはみなさん頭がいいので、
アイデアをひねり出して面白いことを考え、世界観を作り出してくれます。
最近、30-DELUXの方程式のようなものは見えてきたような気がします。

―――2015年にはロンドン公演もありましたね。

ロンドン公演は新たなことにもたくさんチャレンジしました。作曲の佐橋俊彦さんが曲先行でお書きになりたい
ということで、30分の交響曲を3曲書くからそれに合わせて脚本を書いて欲しいということでした。
本場のミュージカルは曲先行で作られることも多いので、その形ですよね。
脚本・演出を手掛けた毛利亘宏さんにとっても、先に出来あがった曲で脚本を書くのは初めての体験だったそうです。
まず曲を作る前の段階で、あらすじだけは作って佐橋さんにお渡ししました。壮大な曲が出来あがってきましたが、
細かい部分、例えば「ここでの戦いのシーンは20秒位かなと思っていたら、3分位あり、
少し削ってもらっても2分ある。じゃあ、どうするんだとなった時、戦って戦って、
その後動きを止めてじっと睨みあいしている感じを入れて…と、いろんな工夫をしました。それがすごく勉強になった。

―――音楽に全てを合わせるとなると、人物の登場の仕方や、衣装替えなども緻密に考えなくてはいけないですよね。

役者は常に曲のリズムを頭の中で刻んでいました。そのきっかけが来たらセリフを言わないといけない、
誰かが転んだりしたらもう崩れていきますから。でも本番は生演奏でやっていただいたので、
生の音楽とセッションするのはこんなにもワクワクするものなんだと思いました。
イギリスに3週間行って色々勉強させてもらいましたが、向こうは生演奏が当たり前です。
それにどの劇場に行っても混んでいて、開演前や休憩中はみんな楽しそうにシャンパン片手に談笑している。
演劇が根付いているということを強く感じました。まだまだ日本で演劇を観る人は限られていると思うので、
僕もアクションの知名度を上げて、日本でアクション芝居を根付かせたいです。

―――演じていて手ごたえはありましたか?

オープニングで殺陣が決まった瞬間に客席からドーンと拍手が来たんですよ。そういう反応が面白かったですね。
ホテルのロビーで男性の方たちが談笑していて、僕が通ったら「さっきのヒーローだ!」と言われ
サイン攻めにあいました。その方は面白かったからもう一泊延ばして明日も観ることにしたって言うんですよ。
仕事で来てたまたまチラシを見付け、忍者が好きだから観てみようと思って観に行ったんだけど、最高に楽しかったよと。
それを聞いた時はものすごく嬉しかったですね。スーパーに行っても「今日観たよ」って声を掛けられました。
アクションをしている最中、ポーズを決めながらチラっとお客さんの顔を見たんです。
そうしたらものすごくキラキラした表情で観て下さっていた。ああ来て良かったなって思いました。
演劇の本場のイギリスでそういう反応をいただけたので、殺陣は世界に通用するというのを感じました。
同時に、和の分野をもっともっと勉強していきたいと思いました。

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<<<<<『ロマンシング サガ THE STAGE』を上演>>>>>

―――2017年、30-DELUXは15周年で、ゲームをもとに舞台化される
『ロマンシング サガ THE STAGE』を上演しますね。


30-DELUXを立ち上げる時に演出をやってくれた方がゲームのシナリオに携わっていた人だったので、
よくよく考えるとゲームの世界観はうちの劇団に合うんだなという感じはありました。
ゲームをもとにしたミュージカル『薄桜鬼』をやった時も、この世界観は30-DELUXぽいなと思いました。

今回『ロマンシング サガ THE STAGE』の脚本を担当しているスクウェア・エニックスの とちぼり木さんという方は、
若い頃、劇作家の横内謙介さんに師事し、芝居を学んだこともあるそうです。
とちぼりさんとは、2年位前に知人を介して知り合い、年齢が同じで、劇団を主宰していた経験もあって、
つかこうへい好きなど、多くの共通点があったせいか、居酒屋で大いに盛り上がりました。
それからしばらくして、「社内でロマサガの舞台化という企画があるのだけれど」という話を伺い、
少しずつ具体的に話が進んでいきました。話をする中で、とちぼりさんから「サガはバトルが熱いゲーム、
イケメン俳優で固めた芝居ではなく、本格的なキャリアがある舞台俳優さんを中心にしっかりと稽古して、
渋みのある骨太な作品を作りたい」と聞かされました。

「僕らの劇団は決して渋くはないですが、一度観に来て下さいませんか?」とお誘いして、
半年後の『新版 義経千本桜』をスクウェア・エニックスのプロデューサーの方たちが観に来て下さることになりました。
観終わった後、「前説もあって、語り部が出てきて原作を知らない人にも分かりやすくて、本格アクションがあって、
ドラマで泣けて、こういう団体を探していたんだ」とおっしゃって下さった時には本当に嬉しかったです。

―――そういう出来事を経て、30-DELUXによって舞台化することになったのですね。

舞台化の方向で話が進み始めてから1年半位かけて、ビジュアル、プロット、条件諸々等も丁寧にひとつずつ
確認していきました。サガシリーズの産みの親である河津秋敏さんを始め、
サガシリーズのご担当の皆様やファンの皆様も期待して下さっているようなので、
「期待に応えなければ」と身が引き締まります。原作物を舞台化する上でのハードルもたくさんありましたが、
それでも話を進めてこられたのは、演劇に携わったことがある、とちぼりさんとご一緒することが出来ている
というのが大きいと思います。劇団を続けていく大変さも分かって下さるので、僕たちの気持ちも汲んだ上で
どう動いたらいいのかを提案して下さるので本当にありがたいです。

とちぼりさんが書かれた脚本も30-DELUXらしい感じで、殺陣や泣けるシーンもあり、
ゲームのファンが観たら、諸手をあげて歓喜するようなシーンの再現もあり、
なおかつゲームが分からない人にも分かりやすい物に仕上がっています。河津さんからも太鼓判をいただきましたので、
逆にこれからがプレッシャーですが、なんとかこの公演を成功させたいです。

―――今回、清水さんはどのような役を?

主軸となるハリードという役です。正直に言うと、僕がこんなに大きな興行で主演のようなポジションを
やってもいいのでしょうかという気持ちです。河津さんからハリード主演の男臭い芝居を作って欲しいという
要望があったようで、僕はそれを知らずに「ハリードが僕っぽい」という話をしていました。
まさか、主演のポジションとは思っていなかったので聞いた時には相当驚きました。

―――30歳で仲間と劇団を立ちあげ、デラックスなものを届けたいという思いをこめて30-DELUXと名付け、
それから15年経って清水さんが真ん中に立ってこれほどデラックスな公演をやるという意味では感慨深いものがありますね。


最初は僕が主演を務めるのは無理ですという話をしたのですが、
「劇団員の夢を、清水さんが切り開いて下さい」という、とちぼりさんの熱い言葉を聞いて腹を決めました。
劇団をやって苦労をしている人たちにも、何かの形でメッセージを届けられたらいいなと思います。
地道に舞台をやってきた人間が40歳過ぎてこういう大作で主演するという機会はなかなかないケース、
でもそういうこともあるんだよというきっかけになったらいいなと思います。と言いながらも、
僕はそんなにメディアにも出ていないし、どういう反応になるのかなっていうのが常にチラつきます(笑)。

―――それはプロデューサーの感覚がそう思わせるのですね。

プロデューサーの目線で行くと「おい、清水主演で大丈夫なのか?」って問いかけるんです。
でも30-DELUX公演に何度か参加してくれている佐藤アツヒロさんが「清水さんはプロデューサーだから
そういう風に考えるのだろうけど、清水さんには30-DELUXという劇団があり、そのお客さんが味方にいる、
もうそれだけでいいじゃない。真ん中に立つ苦しさも分かっているから俺も応援するし、支えるよ」って。
他にもそういう声をたくさん掛けていただき、そこまで言ってもらえるのは本当にありがたいな、
活動を続けて来て良かったなって思います。新しいメンバーとの出会いもあるので、
刺激的なカンパニーになりそうです。
これまでやってきたこと、皆さんの応援を力に代えて伝説の初演にしたいです。


【過去の舞台写真より】

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清水順二さん次回出演作品

 

『ロマンシング サガ THE STAGE ~ロアーヌが燃える日~』

 

世界観監修・脚本原案:河津秋敏

脚本:とちぼり木

演出:米山和仁

 

【東京公演】

日程:2017年4月15日(土)~4月23日(日)

会場:サンシャイン劇場

 

【大阪公演】

日程:2017年4月28日(金)~4月30日(日)

会場:サンケイホールブリーゼ

 

日程:2017年5月3日(水・祝)~5月4日(木・祝)

会場:愛知県芸術劇場 大ホール

 

【福岡公演】

日程:2017年5月6日(土)~5月7日(日)

会場:久留米シティプラザ ザ・グランドホール

 

http://saga-stage.com/

 

 

 
 

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あらかじめご了承下さい。

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