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第三十六回『四国こんぴら歌舞伎大芝居』
二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎 襲名披露会見
演目
第一部
隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)
法界坊
第二部
一、寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
二、二代目松本白 鸚
十代目松本幸四郎 襲名披露 口上(こうじょう)
三、源平布引滝 義賢最期(よしかたさいご)
第三十六回『四国こんぴら歌舞伎大芝居』
二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎 襲名披露会見(2020年2月12日)
◆琴平町長 片岡英樹
琴平町町制130周年記念 第36回こんぴら歌舞伎大芝居の制作発表にお越しいただきありがとうございます。
江戸時代の天保6(1835)年に建てられました185年前の旧こんぴら大芝居、金丸座での歌舞伎公演も
本年で36回目を迎えることとなりました。
第一回目は昭和60年ですが、当時の先輩、先人の方々の思いを繋いで現在に至っているわけです。
本公演は、四国さぬきの春の風物詩となっております。先般、国では文化財保護法が改定され、
これまで保存重視の方針から、活用しながら保存するという形に変わりました。
そういう面では、我々のこんぴら歌舞伎は30年以上前から、その先駆者として取り組んでいるわけでございます。
今回は4月10日に成功祈願のお練り行列、4月11日から16日間、午前、午後の32回公演でございます。
二代目の松本白鸚丈と十代目の松本幸四郎丈の襲名披露公演と銘打っての公演でございます。
白鸚丈におかれましては、9年ぶりのこんぴら歌舞伎でございます。
9年前は第27回でしたが、その時は3月に東日本大震災が起こった次の月の公演でした。
日本中が自粛ムードの中「お練りはどうなるのか」「歌舞伎はどうなるのか」という声もありました。
当時の幸四郎さん(現・白鸚)が「がんばろう日本!」と掛け声をかけてくださり、
日本中に元気を与えていただきました。当時のことを思い出しまして、感謝申し上げる次第です。
ありがとうございました。
また幸四郎丈は、9年前に『鯉つかみ』を半世紀ぶりに出させて復活させ、
6年前は座頭として『女殺油地獄』をやっていただきました。
今でも「舞台楽しかったね、よかったね」というファンの声を耳にしております。
こうした「高麗屋さんの襲名披露公演はいつやるの?」という声をずっと聞いておりましたが、
やっと実現できるわけでございます。第一部の『法界坊』はこんぴらでは初めての演目となります。
また幸四郎丈においては初役ということでございます。金丸座らしい演出にも
大いに期待しているところであります。第二部では襲名披露公演に花を添える『寿式三番叟』『口上』
また派手な演出の『源平布引滝 義賢最期』と、木造建築の金丸座ならではの演目で
大いに期待をしているところであります。
琴平町は明治23(1890)年に誕生しました。ちょうど130年という節目となります。
また高麗屋さんの襲名披露公演。そして令和になって初めてのこんぴら歌舞伎。
色々な意味での節目の年で、大いに期待をしているところでございます。
私どもも精一杯お出迎えさせていただけたらと思います。
新型のコロナウイルスの問題が出ておりますが、町としても公共施設はもちろん、
できる限りアルコール消毒ができるように、またトイレも抗菌シートを貼るなどして、
安心してこんぴら参拝、そして4月の歌舞伎にお出迎えできますように準備を進めているところであります。
四国のこんぴらさんにぜひお越しいただき、江戸の歌舞伎の世界をぜひご堪能いただけたらと思います。
◆安孫子 正(松竹株式会社 副社長/演劇本部長)
いま片岡町長よりお話がありました通り、こんぴらさんの歌舞伎も36回を迎えるということで、
歌舞伎の歴史に欠かせない大きな興行として毎年続けさせていただいております。
最初は昭和60年でしたが、当時は芝居小屋で歌舞伎をやるということがなかなかできなかったのですが、
時代に先駆けて、文化財の持っている使命を果たすために、特に金丸座に関しては
お客様に入っていただいて、そこでお芝居をすることが文化を守っていく、
そうすることにより金丸座が生きてくるという信念のもと続けさせていただきました。
そして、多くの歌舞伎俳優の皆さんにご出演していただいて、
江戸時代さながらの歌舞伎はこういうものだったのかということを感じ取っていただけましたし、
大勢のお客さまにも、通常の劇場とは違った味わいを得るということで、
それが大きな力となって今日まで続いております。
今回はおめでたいことに琴平町の町制130年記念という時に、
また巡り合って高麗屋さんの襲名ができることを本当に嬉しく思っております。
平成30年の歌舞伎座からはじまりまして、襲名興行これが最後のラストランということになります。
昼夜にそれぞれの出し物が発表されましたが、幸四郎さんはとにかくこの襲名興行に関しても
今までに演じたことのない初役、またお家の芸でないものにどんどん挑戦していくという中で、
『法界坊』は現・幸四郎さんのひいおじいさまの吉右衛門さんからの高麗屋・播磨屋を通して
継承していかなくてはならない作品だと思いますが、
『源平布引滝 義賢最期』は高麗屋さんとして初めてということに挑戦していく。
時代ものと世話物これを金丸座でできるということは、これからの幸四郎さんの行く道を
暗示しているのではないかという思いで期待しております。
白鸚さんは『法界坊』の大詰めで押し戻しのお役で出ていただくと聞いております。
第二部の『寿式三番叟』は歌舞伎にとっても大きな儀式の1つでございます。
そこで翁を勤めていただくということで、ありがたいことだと思っております。
今回の顔ぶれも、大勢の方に参加していただいての素晴らしい公演になると思います。
ぜひ従来にも増して多くのお客さまにおいでいただいて、大盛況に進められるようによろしくお願いいたします。
◆松本白鸚
高麗屋の襲名は一昨年の1月に歌舞伎座でさせていただいて、
その前の準備を入れると足掛け4年でこの金丸座にお招きいただきました
襲名興行がこれで最後でございます。なんとかこの金丸座の高麗屋の襲名が無事に済みますように。
私はそれが念願で夢でございました。きれいな葉桜の中、琴平町の金丸座で
千秋楽を迎えられることができれば本当にうれしゅうございます。
私は金丸座は9年ぶりでございますが、色々な思い出がございまして、襲名の4年間も思い出がございました。
ここにいる十代目幸四郎も、だんだん大きくなり幸四郎になってくれたと思います。
その最後の襲名興行をしっかりと勤めていただきたいと思います。
『法界坊』や『源平布引滝 義賢最期』をやったり。初役に挑戦しているのを側で見ておりますと
大変うれしゅうございます。また片岡町長、安孫子副社長から、素晴らしいお言葉をいただきました。
特に片岡町長のお元気さは、圧倒されました。この元気があれば金丸座にどうぞご出演をしていただいて(笑)。
どうかこの金丸座の公演が盛況のうちに終わることをお祈りいたしまして、
私も最後の襲名興行を一生懸命勤めたいと思います。
◆松本幸四郎
4月に金丸座で松本幸四郎襲名披露をさせていただくこととなりました。
金丸座は何度か出演させていただき、先ほど町長さんからもお話がありました通り、
前回『女殺油地獄』では、最後の立ち回りで油を使っての立ち回りで、それもお許しいただきました。
9年前『鯉つかみ』の時には、前の町長さんをはじめ、ボランティアや地元の多くの方々に
裏方になっていただき復活させていただきました。その前にもたくさん思い出がある場所でございます。
そこで襲名披露をさせていただけるのは、とても嬉しく思っております。
この襲名披露公演を一昨年前にさせていただきましたが、父が「この襲名披露興行三代は奇跡だ」と
言っていました。それ(意味)が少しわかったような感じがします。
この襲名披露興行が最後でございますが、その奇跡が出現するのは、この金丸座の千秋楽だと思っております。
最後、最後と申しておりますが、これで引退するわけではございません(笑)。
これを最後ということは、スタートという意味でも、この襲名披露公演の金丸座が最後だと思っております。
『法界坊』はおじに教えていただき、『源平布引滝 義賢最期』は松嶋屋のおじさまに
教えていただきます。いずれのお役も、憧れのお役でございました。
また『法界坊』に関しては、先代の中村屋のおじさまが『法界坊』をされた時に丁稚(でっち)で出ておりました。
その時に袖で観ていたので今でも覚えているのが、釣鐘建立で掛け軸を持って出ますが、
当時、小学生で、家では父に釣鐘の絵を描いてもらって、半紙を使って掛け軸を作って
廊下を花道に見立ててお芝居ごっこをしていたという思い出があります。
その若かりしを思い出しながら…ちょっと辻褄があいませんが(笑)。
一生懸命勤めたいと思います。
また『源平布引滝 義賢最期』に関しては、松嶋屋のおじさまがされていたのに憧れておりました。
それが自分の体を通して、『源平布引滝 義賢最期』を皆さまに知っていただくことができればと
思って勤めたいと思います。何卒、よろしくお願いいたします。
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