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歌舞伎座『二月歌舞伎』中村屋オンライン取材会
中村勘九郎、七之助、勘太郎、長三郎が出席
左から、中村長三郎、中村七之助、中村勘九郎、中村勘太郎 Ⓒ松竹
概要
歌舞伎座「二月大歌舞伎」のオンライン取材会が1月21日に行われ、
中村勘九郎、中村七之助、中村勘太郎、中村長三郎の4名が出席。
十七世中村勘三郎追善公演ということで、中村勘九郎さん、中村七之助さんにとって、
祖父・十七世中村勘三郎丈、父・十八代中村勘三郎丈との思い出や、
公演の意気込みを話しました。
取材会風景 Ⓒ松竹
オンライン取材会(2021年1月21日)
◆中村勘九郎
祖父(十七世中村勘三郎)の三十三回忌追善をさせていただきます。
祖父は父(十八代目中村勘三郎)に「歌舞伎座で追善ができるような役者に」とずっと言っておりまして、
三十三回忌は父がやるものと僕たちも思っていたのですが、引き継いで、大変な時期ではありますが、
追善ができるという喜びと感謝の気持ちで一生懸命にやりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
◆中村七之助
大変な時期ではありますが、祖父の三十三回忌を歌舞伎座で追善をやらせていただけますこと幸せに思っております。
兄(中村勘九郎)と勘太郎と長三郎とともにやらせていただけること、これは本当に祖父も父も喜んでいると思います。
一生懸命勤めさせていただきますので、ご声援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
◆中村勘太郎
中村勘太郎でございます。『連獅子』の子獅子を務めさせていただきます。
一生懸命やらせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
◆中村長三郎
中村長三郎でございます。『奥州安達原―袖萩祭文―』のお君を務めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
十七世中村勘三郎丈 Ⓒ松竹
―――三十三回忌ということで、十七世中村勘三郎さんの思い出をお聞かせください。
◆中村勘九郎
僕が6歳、七之助が4歳ぐらいの時に亡くなっているので、はっきり覚えているって事はないのですが、
初舞台の前の初お目見えで座る位置が悪いということで、普段は優しいじじんちゃま(十七世中村勘三郎さん)だったのですが、
鬼のように怒られて、あまりにも怖くて楽屋の押入れに逃げ込みました。
その押入れの匂いやミシミシという音を鮮明に覚えています。
それから、じじんちゃまのことは、亡くなってから皆さまから伺うと「この人の話だったら、いくらでも話せるわ」って、
今でもおっしゃってくださるような、皆さまから愛されている人だったんだなと思います。それは芝居にも表れていると思います。
僕らは、じじんちゃますごい人だなと思いますし、神社とかお寺で手を合わせる時には、
じじんちゃまや、おとうちゃま(十八代目中村勘三郎)のような役者になれますようにと思って手を合わせていたくらいです。
大人になって映像を見ると「(じじんちゃまは)お客さまに魔法の粉をかける、マジックというか、
そういうものを持っているんだよ。だから、お前たちも魔法の粉がかけられるように頑張らないといけないよ」って、
うちの父がよく言っていました。その魔法の粉というのが見えるようで、祖父は素敵で誇らしい役者ですね。
◆中村七之助
4歳の時に祖父が亡くなってしまったので、ほとんど生の記憶というのはございません。
ドキュメンタリーの『こんなに大きくなりました』という番組で、小さい頃から撮影してくださっていたので、
そういうもので祖父の人柄や声を聞いています。僕は、とてもおしゃべりな子どもで「3秒黙ったら死んじゃうよ」って
言ってたのですが、僕が楽屋に来るとすぐに「帰せ」と言っていたらしいです。
うるさいからやめてくれっていうのはよく聞かされていました(笑)。
前に父がいる時に、歌舞伎座で祖父の追善興行をやった時に、私が初めて追善口上をさせていただいたのですが、
追善なので思い出話とか、ちょっと湿っぽい話になるのかな思っていたら、
先輩方はそれぞれに祖父との思い出がたくさんありまして、皆が腹を抱えて笑うようなエピソードがたくさん出てきて、
こんなにみんなに愛されている、こんなエピソードがたくさんある人だったんだということを身近に感じて、
すごく嬉しかった思い出があります。人間性もそうですが、芸の上でも素晴らしい役者さん。
両方引き継げるように、これから私も努力していきたいなと思っています。
―――今回の演目は『奥州安達原』と『連獅子』ですが選ばれた理由は?
◆中村勘九郎
皆さまご存知の通り、十七代目が演じた役はギネスに載ったくらいたくさんあります。
第三部の二本ということで、子ども達も出演できないかな?ということで、祖父が通しで『奥州安達原』をやっていたのですが、
父も平成中村座で通しをやりたいなという夢があったので、袖萩役は七之助にぴったりですし、お君は11歳の役で、
いま長三郎は7歳なので実際の年齢とは離れていますが、私も安倍貞任で出て追善ができる演目ではないかと思いました。
そして代表的な作品でもありますし、中村屋にとっても祖父と父が築き上げた『連獅子』。
父には仔獅子のプライドがすごくあって、私たちが仔獅子を勤める時は手取り足取り、その魂を一から教えてくれた踊りで、
中村屋にとっても思い入れのある演目なので、追善で勘太郎と初めて踊ろうということになりました。
自粛期間中に家でお稽古していた中に『連獅子』も踊っていたので、こんなにも早く実るとは思っていなかったので、
僕たちを見て(上を向き)祖父と父がちょこっと操作してくれたのかな?と思いますが、
中村屋の『連獅子』を繋げることができて嬉しいです。
―――長三郎さんのお君と共演することについては?
◆中村七之助
第三部で二本ということで悩んだのですが、先ほど兄も申しました通り、祖父のおかげですよね。
色々な役をやっていたので、この二つがバッチリ合って、しかも勘九郎、長三郎ともにお客さまの前で
お芝居ができるという演目がやらせていただけるということが嬉しいですし、長三郎と親子の役は初めてです。
愛情は普段からたっぷりありますが、あの場面で一番出ているのはお君ちゃん、私より出ずっぱりです。
いま7歳で、役も演じなければいけないし、(舞台上でやる)仕事も多く、しかも1ヶ月の長丁場で彼には試練ですが、
(長三郎さんに向かって)二人で一生懸命乗り切っていきましょうね(うんと頷く長三郎さん)。
―――どのようなお稽古をされていますか?
◆中村勘九郎
コロナ禍で緊急事態宣言が出て舞台がなかったので、5月にお家時間で何をする?ということで、
自宅で勘太郎、長三郎と一緒に『連獅子』のお稽古をしました。私が父から手取り足取り教えてもらった『連獅子』を、
1つ1つ彼らに伝えていました。8月歌舞伎座が再開してから忙しくなって、(二人に対して)なかなかできなかったんだよね。
11月末に『連獅子』をやることが決まったので、久々にやろうと踊ったら、ほどんど忘れいて驚愕しました(笑)。
毎日のようにやって、しっかりと覚えてきて今は1日1回。できるだけ開演時間に合わせて踊っています。
あとは拵えをして踊るのは大変なので体力作りをしています。(勘太郎さんに)何をしていますか?
◆中村勘太郎
ランニングと腹筋、壁倒立。
◆中村勘九郎
壁倒立はちょっと意味がわからないですけど(笑)。
私は11年前に浅草公会堂で袖萩と安倍貞任を勤めたことがあるので、妻が台詞をひらがなで書いて、
それを覚えて、台詞を言っています。七之助が言う通り、舞台上での仕事がたくさんあるので、
それを繰り返しやっています。義太夫狂言なので、糸(三味線)に乗って形をするのも彼は初めてなので、
音を聞きながら毎日コツコツ稽古をしています。福助の叔父が七之助の『袖萩』を教えてくれまして、お君もお稽古しました。
(二人に対して)…おとうちゃま(自分)が全部しゃべっちゃったじゃないの、あなたたちはお稽古してどうですか?
◆勘太郎、七之助
楽しいです。
◆中村勘九郎
お稽古では何が大変ですか?
◆中村勘太郎
腰を割るところとか、毛を振るところが大変です。
◆中村長三郎
大変なところは、木戸で顔を振るところとか。
◆中村勘九郎
解説します。義太夫の糸に乗るという間(ま)ですね。「会いたい」という気持ちを乗せて、雪にすべってところです。
ありがたいことに勘太郎は色々と舞台で踊らせていただいているので、踊りの勘や覚えること、
体の使い方は徐々によくなってきていると思います。
長三郎は持って生まれた声が良いので(長三郎さんにっこりする)、ニヤっとするなよ(笑)。
これは中村屋にはなかなかない声なので、彼の武器になると思います。
『袖萩祭文』袖萩=中村七之助、お君=中村長三郎
(撮影:篠山紀信) Ⓒ松竹
『連獅子』親獅子の精=中村勘九郎、仔獅子の精=中村勘太郎
(撮影:篠山紀信) Ⓒ松竹
――自分の写真を見てどう思いますか?
◆中村長三郎
う〜ん、結構できていると思います。
◆中村七之助
結構できている?うん、良いことだね。
◆中村勘太郎
かっこいいと思う。
◆中村勘九郎
初めて着たんだよね。着た時どうだった?
◆中村勘太郎
最初は、お父さんたちが軽そうに踊っていたから、あまり重くはないんだと思っていて、
でもいざ着てみたらものすごく重くて、写真撮影が終わった後に踊ったのですが、死にそうになりました。
◆中村勘九郎
それでも厳しく「もう1回、もう1回」って言われて泣きそうになっていたよね。でも、もっと大変なんだよ、舞台は。
◆中村勘太郎
はい。
◆中村勘九郎
(長三郎に)どうですか? よくできたと思いますか?
◆中村長三郎
よくできたと思います。
◆中村勘九郎
可愛いと思いますか?
◆中村長三郎
はい!
◆中村七之助
やばい家族だよ…(笑)。
―――勘太郎さん、長三郎さんの、ここは良いなというところと、
ここはチャレンジだなというところは?
◆中村勘九郎
踊りは何度も踊っているので、一度言った体の使い方とか、すぐにできるようになりました。
ただ悪いのはそれを反復しないこと。一度言ってその場でできても、次の日にできなかったら意味がないので、
ちゃんと復習してやらなければいけないですよ(勘太郎さん「はい」)。
長三郎さんは、天性の声を持っているので、とても良い声でできていると思います(笑顔で頷く長三郎さん)。
ただ、集中力が少し欠けているので、お君ちゃんは長いお芝居の中でずっと出ているので、
最後まで集中力を持続するのは大変ですけれど、保って出ていなければ、
良い声が出ていても全てがダメですよ(長三郎さん「はい」)。結局ダメ出しになっちゃった(笑)。
◆中村七之助
勘太郎の『連獅子』は拵えをしてやらないと本当にわからない。舞台に立ってあの雰囲気、照明、前シテを踊ったあとの後シテ、
多分、彼が生きてきたなかで一番辛い1ヶ月間でしょう。本当にしんどいと思います。
けれど、一生懸命頑張れば、お客様が声援として返してくれる。私も舞台に立つ喜びを初めて知ったのは『連獅子』でしたので。
その舞台がすぐそばまで来ているのでパワーを送ります。長三郎は、兄も申しました通り、声も良いですし、
やるべきことを集中してやればできると思うのですが、今お稽古では相手の台詞を飛ばしてお稽古をしていますが、
本番では相手も全部喋るし義太夫も入るし、今感じている倍以上の時間と集中力を保たなければならず、
覚悟が要りますね(長三郎さん「はい」)。初めての稽古はびっくりすると思う。
あの雰囲気のなかずっと緊張感を保つのは、なかなか大人でもきつい。
私も初役なので、フォローしきれないかもしれませんが、二人一緒になって壁を乗り越えていきたいと思います。
──お父様や叔父様(七之助)に言われたことで気をつけていることは?
◆中村長三郎
集中力。
◆中村勘太郎
『連獅子』で毛を振る時に、ためて横振りをするのが気をつけています。
◆中村勘九郎
それだけ!?一番言っているのは、普段の生活すべてが芝居に繋がってるということですよね。
普段の学校でのことや1回言われたことも全部芝居に繋がっていますよ。
これは、あなたたちの曽々祖父様の六代目(尾上菊五郎)のおじいちゃまが言っていたこと。
普段から芝居のことを考えなさいと。
◆中村七之助
考えすぎてもダメだけど(笑)。
僕は学校に行っている時に考えすぎて『連獅子』の最初から最後まで、三味線と歌をやって、踊りをやったらだいたい50分。
だから考えてたら授業が終わってた(笑)。だから勉強がついていけなくなっちゃった(笑)。
◆中村勘九郎
長三郎さん、気をつけていることは?
◆中村長三郎
集中力を気をつけます。
──勘太郎さんと長三郎さんは1年1ヶ月ぶりの歌舞伎座の舞台、緊張していますか?楽しみですか?
◆中村長三郎
両方です。緊張と楽しみがくっついてます。
◆中村勘太郎
僕は楽しみです。久々にやるので。
──勘九郎さんは、そんなお2人を見て緊張と楽しみのどちらですか?
◆中村勘九郎
(コロナ禍で)こんな状況になってしまい、芝居ができない苦しさも味わったので、楽しみです。
中村屋の『連獅子』を繋げることができた。中村屋だけでなく綺羅星の如き先輩方、先人の方の技、呼吸、間、芝居というものを
繋げていく役割も1つなので。その中で『連獅子』を繋げることもそうですし、『袖萩』は祖父がやり、父ができなかったことを、
兄弟、子と繋げられる喜びですね。あとは幕が開いてみないとわかりませんね。
『連獅子』は「ずっと仔(獅子)をやっていて、親になって背中を見られた時にゾッとしたよ」と父も言っていました。
そんな気持ちになるんじゃないかと思います。歌舞伎座という私たちの聖地で、
皆が見守ってくれている中で踊れるので、パワーを貰ってやりたい。
十八代目中村勘三郎丈 Ⓒ松竹
──『連獅子』をお父様と踊られた時の思い出は?
◆中村勘九郎
祖父が80歳になった時に父が僕と踊りたいと言っていましたが亡くなってしまいましたので、
80のお祝いの時に1日だけ会で踊りました。それが9歳の時でした。嬉しそうでしたね。
映像で残っているのですが “水に映りし面影を”でトンと踏むところで、きっかけを父が「俺がやろうか?」というのを、
「ううん、(自分が)やる」と答えた時の嬉しそうな顔が映像に残っているんです。
でも、それからは地獄でしたね。父には仔獅子のプライドがあるので、「こんなんじゃ俺が作り上げてきた仔獅子じゃない」と
怒られました。少しでも親より先に動こうものなら、目も見てくれない、手も触れてくれない。
違う間であしらわれる、高度な振りをして仔獅子よりも仔獅子のように踊られる。
一番それがきつかった。こうやってやるんだよ!と口には出しませんが、本舞台から花道に向かって、あの目は忘れられない。
良かった時はものすごく良い顔をしてくれるんです。これは七之助も経験をしていると思いますけれど(うなずく七之助さん)。
3人になってからは、とても喜んでいました。間やピタッと合った時には「DNAだね」と言っていましたし、
楽しんで踊っていたなと思います。
◆中村七之助
兄が言った通り、死ぬ思いでした。兄も厳しいと思いますが、父はその100倍は厳しかった。
前シテがダメだったら目を見てくれない。手を握ってくれない。谷から這い上がってきても喜ばずに怒ってる状況で(苦笑)。
先に引っ込んで、自分で隈(取り)を引くのですが、10代前半で慣れてなくて時間がかかる。早くやりたいのですが、
親父が引っ込んでくると地獄の時間。そこで死ぬほど怒られても、手は止められないので、その板挟みで、
怒られたまま後シテが始まり、体力的にもすっからかん。足が上がらなくても足を上げて、毛を振って。
毛を振ることがものすごく大変なことなのですが、毛を下ろしたら「終わった」と思うんです。
幕が閉まったら、ダメな日は大変なことになる。家も一緒なので、帰りのタクシーの中も地獄。
◆中村勘九郎
子どもの頃、歌舞伎座から帰る時の記憶は全部滲んでいました。
◆中村七之助
(話を)盛ってないよね。
◆中村勘九郎
盛ってない!涙で滲んでる映像しか覚えていないですね。それで家に帰って稽古して。
◆中村七之助
夜ご飯も地獄の夜ご飯。学校に行って、帰ってきてまた地獄というのを繰り返すんですけど。
◆中村勘九郎
大丈夫だよ?(笑)(不安そうな勘太郎さんの肩をトントンとする)
◆中村七之助
いけないのかもしれませんが、兄弟で大人になってから一致した意見があって、
もちろん歌舞伎役者なのでお客様のために踊りますが、私たちは父のために踊っていたんだなとすごく思います。
特に『連獅子』は、父が喜んでくれるために全身全霊をかけていた。だからその絆が、
知らぬ間に体から『連獅子』という演目として出てきていたのかな。
七緒ちゃん(勘太郎)も1ヶ月、おーわん(勘九郎)のために、お客様のために、全身全霊をぶつけてほしいです。
―――当時、先に勘九郎さんが演じられているのを観てどう思っていましたか?
◆中村七之助
もう僕は頑張れ!と思っていました。好きな演目だったので。僕が演じたいとかあんまり思っていなかったですね。
―――初めて演じた時は?
◆中村七之助
初めては確か歌舞伎座で中日交代だったんじゃないかな。
お兄さん(勘九郎)の『連獅子』を観て大変そうだなと思っていて、自分で踊ってみて、本当に苦しかった思い出がありますね。
そこから、お兄さんが一人で踊って、僕が『連獅子』というのが定番になってきて、そこから色々なことを教わりました。
ダメだと幕が開く前から父が稽古をつけてくれて「火の玉みたいに踊りなさいよ。全部出し切れ」って言われて。
それはすごく耳に残っていますね。
──十八代目は13歳で、勘九郎さんが10歳、七之助さんも10歳。
今回9歳で(勘太郎が)本興行で勤めるのは、記録ではおそらく最年少です。
◆中村勘九郎
あら!? 俺だったんだよ!これ(市川)猿之助さんがずっと言ってたの。
猿之助さんがそれまで最年少で、僕がやったことで抜かされて、すごく悔しかったって。
あ、そう!あなたが最年少。まあ、ただやるだけじゃダメだからね(笑)。
──体力的に親として心配は?
◆中村勘九郎
ありますよ。僕も1日だけ踊った9歳の時は首のレントゲンを撮りました。
首で毛は振りませんが、わからないので。(勘太郎さんに向かって)頑張りなさいよ、あなた。
映像を見ると俺より良いから大丈夫。(笑顔で「うん」と勘太郎さん)でも、調子に乗るなよ(笑)。
──これぞ中村屋の『連獅子』という点は?
◆中村勘九郎
上手い下手でなく心、魂で踊るということです。けれど、それは踊りの基礎がなっていないとダメなので、
型があってそこに心を入れる作業なので、両方がマッチングさせなければいけない。
また前シテがとても大事な踊りだと肝に銘じて踊ってほしいです。
──『奥州安達原』の袖萩役については?
◆中村七之助
祖父のものを見れば見るほど遠く及びませんが、とにかく情に溢れています。
もちろん軸は安倍一族の再挙のお話ですが、すべての家族の絆やプライドが詰まっている素晴らしい場面で、
袖萩はそのキーポイントになるお役なので、一所懸命勤めますし、三味線を弾いたり、お君も色々な仕事がありますが、
毎日やっていることですから、それが仕事に見えないよう、お君ちゃんとの深い愛で繋がってるように、
お客さまに観ていただけるよう勤めたいです。祖父が使っていた台本は残っていないのですが、
その当時に使っていた台本をコピーして使っています。福助の叔父に習いましたが、
今回は追善なんだから、じじんちゃま(祖父)の形でと。気持ちや目が見えない雰囲気などを教わりました。
取材会風景 Ⓒ松竹
―――緊急事態宣言の中、劇場に足を運んでくださるお客様へメッセージを。
◆中村勘九郎
大変な時期に追善ができるのも、もちろん祖父、父、出てくださる先輩方のおかげ、
そして徹底して、来てくださったお客様に安心安全に歌舞伎を観ていただこうと毎日努力してくださるスタッフの皆さんの力です。
部が終わって幕を開けて換気している間、丁寧に椅子の手すりを拭いてくださる皆さんを思いながら感謝して勤めます。
子どもが出演しますが、子役の時期は本当に早くて、これを逃してしまうと、私たちもお君をやっていないものね
(と、七之助さんへ。うなずぐ七之助さん)。こういうタイミングがなければ観られないことなので、
大変な時ですが、ぜひ歌舞伎座に足を運んでいただきたいし、最年少記録をね?(勘太郎に)仔獅子も、中村屋初の。
もしかしたら父やじじんちゃまの連獅子を観ている方もいるので、三代の『連獅子』観てくださる方もいらっしゃると思いますが、
その方たちも安心に観ていただけるように勤めたいと思います。よろしくお願いいたします。
上左から、中村七之助、中村勘九郎、下左から、中村長三郎、中村勘太郎 Ⓒ松竹
情報は書き込んだ時点のものですので、実際の内容と異なる場合があります。
あらかじめご了承下さい。